連れて行く時も一枚の紙ならば、死の報(しら)せも一枚の紙でした

大蔵村 中島キク子さん

 15歳で結婚した中島さんが夫英治さんと暮らしたのは約3年半。長男、次男をもうけた。夫は1945年3月に出征し、その日から食卓に写真を置き陰膳(かげぜん)を供えた。生死不明のまま4年が過ぎ、同じ部隊にいた人から、中国・旧満州で終戦3日前に夜襲決行に出たまま帰らず、戦死しただろうと告げられた。58年7月、小さな白木の箱が届いた。中にあったのは一枚の紙切れ。「引き揚げが終わったから生死不明の人は戦死とする」

(2002年8月13日付朝刊、当時76歳)

2020/6/4 08:52
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戦後75年、言葉を刻む
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