やまがた観光復興元年

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やまがた観光復興元年

第1部・逆境を乗り越える[4] 旅行形態の変化

2014/1/6 12:31
スキーヤーや樹氷の見物客が訪れる山形市蔵王温泉スキー場の地蔵山頂付近。スキー人口は減少が続いている

 かつてスキー場はドル箱だった。山交バス(山形市)が東京都内に構えていた営業所の元担当者は、毎年9月1日、スキーバスの予約受け付けを開始すると同時に電話が鳴りっ放しになったのを思い出す。勤務していた1975(昭和50)年~89年ごろ、深夜に都内を出発して翌朝に山形市の蔵王温泉スキー場に到着するバスは、シーズン中毎日30台(40人乗り)を運行。他社のバスと到着点が重なる蔵王温泉バスターミナルは混雑を極め、「パニック状態」だったという。

 同社によると、スキー客のピークは90年代前半。原田知世さんが主演した映画「私をスキーに連れてって」(87年公開)によるブームが背景にあった。受け入れる蔵王温泉のホテル・旅館はシーズン中は常に満室で、かみのやま温泉(上山市)などにもスキーヤーがあふれた。リフト乗車の補助係、旅館の客室清掃係などは人手が足りず、確保に苦労。冬場に手が空く農家などを夏ごろから回って依頼するほどだった。

 しかしバブルが崩壊し、スキーブームも去った。ピーク時は約1900万人(レジャー白書より)だった全国のスキー人口は、2009年にはスノーボードを加えても1200万人程度まで減少。県観光者数調査でも県内スキー場への観光客(延べ数)は12年度は110万人で、過去最高を記録した1990年度の347万人の3分の1以下に。山交バスは、5年ほど前にスキーバスの運行を廃止した。

 かつて旅行は会社単位など団体が主流だった。かみのやま温泉(上山市)の月岡ホテルには、昭和40年代にボウリングレーンがあった。団体客の要望に応えるためで、どの旅館も一部屋に4~5人ずつ宿泊し、定員いっぱいまで収容することができたため収益率も高かった。しかし、1990年代以降、様変わりする。「バブル崩壊後には完全に個人旅行が主流になった。さらにグループから家族旅行、一人旅へと単位が小さくなっている」。山形市出身で、長く観光業界をリードしてきた舩山龍二日本観光振興協会副会長(元JTB社長)は、急激な変化を肌で感じていた。

■困難な時代に

 データはそれを裏付ける。じゃらんリサーチセンターの宿泊旅行調査によると、2012年度の旅行形態で最も多かったのが夫婦の24%。一人旅の割合は、35~49歳の男性の伸びが顕著で、04年度の12%から12年度には21%まで増えた。旅行形態は変化し、ニーズは多様化。スキーブームのような流れを呼び込むのが困難な時代を迎えている。

 山形県の調査から観光者数の推移をたどる。本県への観光客(延べ数)は、山形新幹線が開業し、べにばな国体が開催された1992年度に初めて4千万人を突破。県内で5回目のデスティネーションキャンペーン(DC)となった「おいしい山形DC」が展開された2004年度に過去最高の4227万人を記録した。

■宿泊減著しく

 その後、世界的経済不況があり、そして東日本大震災、東京電力福島第1原発事故が発生。11年度には3540万人まで減少した。

 さらに宿泊客はもっと減少が著しい。温泉資源の保護を目的に行っている県みどり自然課の調査によると、県内温泉施設への宿泊客は、ピーク時の1992年度には450万人だったが、2011年度には241万人とほぼ半減している。温泉宿泊施設数も11年度は358カ所で92年度の4分の3に減った。消費額の大きい宿泊者の落ち込みは、観光客総数の減少より深刻な問題だ。

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