やまがた観光復興元年

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やまがた観光復興元年

第1部・逆境を乗り越える[2] 飯豊・中津川(中)

2014/1/4 12:13
台湾旗を掲げ、バスを追い掛けての見送りが、台湾からの観光客に感動を与えている=飯豊町萩生・どんでん平スノーパーク

 飯豊町に台湾観光客が急増するきっかけは、同町萩生の「どんでん平スノーパーク」での雪遊びだった。

 町観光協会が豊富な雪を生かしたスノーモービルによる誘客を目指し、2003年ごろから体験ツアーを定期開催。参加者は毎回数人だったが、諦めずに継続した。地道な活動は観光事業者に知られるようになり、数年後「よねおりかんこうセンター」(高畠町)から台湾の観光客受け入れの打診があった。

 09年1月、最初の団体客100人が町にやって来た。雪のない台湾の人々に雪遊びは受けた。しかし、ここまではほかの雪国でもできる。違っていたのは見送りだった。「こんなに遠くまで、よぐござってけっちぇ(来てくれて)」。感謝の気持ちを伝えたいと、思い付くままに台湾旗を掲げ、去っていくバスをスノーモービルで追い掛けた。中国との関係があり、台湾旗を掲げる機会が少ない台湾の人々。バス車内には拍手が起こり、涙を流して喜ぶ人もいた。

 これを機にツアーを担当した台湾の旅行会社は、各地に確保していた雪遊びの場所を全て飯豊町に切り替えた。その後は、見送られたはずなのに、感激のあまりバスで戻ってくる人たちも現れた。歓迎ぶりはブログやフェイスブックで広がり、受け入れ初年の冬は雪遊びだけで910人が、09~10年冬には町人口の4分の1に当たる2120人が台湾から訪れた。

雪遊びを楽しむ台湾からの観光客。スノーモービルやバナナボート、チューブ滑り、スノーシューなど多彩なプログラムを用意している=飯豊町萩生・どんでん平スノーパーク

 飯豊町で「熱烈歓迎」の雪遊びが定着すると、ツアーを仲介していた旅行コンサルタント会社GINGAインターナショナル(盛岡市)は農家民宿の旅行商品をつくった。台湾で再放送され人気を集める日本のテレビ番組「田舎に泊まろう!」をモデルに2011年度末から販売。「あの番組の主役になれる」と受けた。

■満足度の高さ

 東日本大震災に伴う原発事故の風評被害が色濃く残り、本県への外国人観光客が激減していた12年5月には、台湾の旅行社が中津川の農家民宿をPRするラッピングバス約50台を台北市内で運行。知名度を高めた。受け入れ人数が限られるため爆発的ヒットとはならなかったが、参加者の満足度は非常に高く、12年11月には台湾の旅行コンテストの日本・韓国部門で最高賞に輝いた。

 人口約300人の地域に11年度は実数で75人、12年度は161人が台湾から宿泊に訪れている。「豊富な雪と、最高級の田舎」と売りを明確にしてPRした結果だ。

■他と違う熱意

 2人に1人が高齢者の過疎地域で、言葉の通じない外国人を受け入れるまでには、抵抗感や不安があった。「最初に通訳から過ごし方を説明してもらう」「あとは筆談や指さし会話表を使う」。町観光協会の二瓶裕基さん(39)が不安を一つ一つ取り除き、「やってみっか」と民宿の女性たちを誘った。決断したのは「地域を元気にしたい」と強い思いを抱いていた住民たちだった。「やってみたら、身ぶり手ぶりで何とかなった」と五十嵐京子さん(66)。人懐っこい笑顔からは、お母さんたちのおおらかさが垣間見えた。

 飯豊町の台湾誘客の事例は旅行関係者の間に広がり、「うちに来て」と売り込む地域も増えた。しかし、日台間のツアーを多く手掛けるGINGAインターナショナルは、飯豊町に客を送り続けている。予定が直前まで固まらずキャンセルも多い台湾の旅行形態に柔軟に対応し、台湾を訪問してのセールスを継続している点もあるが、「地元の熱意が違う。町が一丸になっている。見送りも本当に一生懸命。だから他の地域に移らない」と同社の村山正弘社長(73)。「チャーター便の運航や、仙台空港の定期便増便など足が確保されれば、観光客はもっと増える」と力を込めた。

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