藤沢周平と庄内

古里の方言への愛着

 「『もう少(ちこ)し我慢しぇの。あばれねで、じっとしていれの』」(『春秋山伏記』)

 いきなり庄内弁で始まる『春秋山伏記』は、全編にわたって会話の部分はこの調子である。例えば「夜(よ)ん間(ま)と同じでの。暗ぐて何も見(め)ね」。赤川の、夜のように暗い水の底を村の人々はそう表現するのだ。

 「おとし」の子供がその赤川に滑り落ち、宙ぶらりんの形で母親の手にすがっている。羽黒の山伏・大鷲坊(だいしゅうぼう)がそれを助ける。「助けらえました、おんぎょう(行者)さま」とおとし。大鷲坊とおとしの出会いである。

 藤沢さんは、かつてこんな一文を、山形新聞社が編纂した冊子に寄せている。

 「いまの私の願望を言わせてもらえば、言葉と喰べものぐらいは残ってもらいたいという気持ちである。この両方とも、じつはなしくずしに失われつつあることを、私は知っているが、あえて言うのは住まいや着物とは違い、この二つは失われれば取り返しがつかないものだと思うからである。」(『鶴岡三百五十年の伝統―残すもの・捨てるもの』)

 昭和50年のことである。以後、藤沢さんが作品の中で、郷土の料理や食材、そして庄内弁にこだわり続ける理由の一端がうかがえる。それだけではない。食べ物や方言、あるいは微禄の藩士というのは「現実に似ている虚構が、描こうとしている真の虚構により近い」(『ふるさとへ廻る六部は…』)という効果を発揮するのである。

 食べ物、方言ほど風土に培われ、がっしりした存在感を示すものはないと言える。

 史実に基づく歴史小説も例外ではない。例えば『回天の門』で、元司(清川八郎)が最上川の船頭に殴られる場面がある。「そら、おめえも男なら、腕で挨拶したらよかんべよ。おら」。さらに、『義民が駆ける』でも、「今日はええ空でえがったのシ」と農民には、ことごとく庄内弁を語らせている。その農民が「三方国替え」に反対する運動を盛り上げ、江戸で直訴に及ぶのである。

『龍を見た男』は、油戸に住む漁師が主人公。加茂、三瀬、善宝寺など実在の地名、寺が出てくるのに加え、言葉も少々荒っぽい庄内弁である。こうした現実性、あるいは日常性が物語の虚構性を際立たせる。この時藤沢さんは、きっと思う存分筆を走らせていたに違いない。

 「『ンださげ、俺(おら)も信心しろてが?』
 と源四郎は小馬鹿にしたような笑いを浮かべて、おりくをみた。(中略)
 『馬鹿やろめ! 俺は信心なんてものは大嫌(だいきれ)えだ。俺は誰の助けも借りねえ。ちゃんと自分の力でやる。よけいだロ叩くな』」


 と源四郎は女房のおりくに言うのである。その源四郎が物語の最後では「龍神さま!」と神にすがる。引用した部分の啖呵(たんか)が滑稽(こっけい)さと哀切を誘う。

 「ンでがんす(さようでござります)。今日は奥さまがこの間、旦郵さまのお許しを頂いたように、お寺参りに行く日でがんした。」

 『秘太刀馬の骨』では、下僕の伊助に庄内弁を語らせている。物語の最後、主人公・半十郎の妻女・杉江が寺参りに行き、そこで子供を楯に狼藉(ろうぜき)を働く浪人者を、見事な小太刀さばきで打ち据える下りである。気の病で、全編半十郎を悩ませる杉江。伊助の仔細(しさい)報告で半十郎は、杉江が病から回復したことを知る。

 この作品では、杉江の兄、つまり半十郎の義兄・谷村新兵衛にも方言をしゃべらせている。

 「『下がるどごだか』
   谷村新兵衛は言った。
  『ンだ』
  『ンだば、一緒に下がるか。話もある』
  (中略)
  『だいぶ、あったこぐなった』
  『ンだのう』
 半十郎は言葉少なに応じた。」


 といった具合である。

 藤沢作品に出てくる食べ物も方言も、その味やニュアンス、意味を十分知り尽くしている庄内の人々は、その分だけ深く作品を楽しむことができる。藤沢さんは、古里の食べ物や言葉を大事にすることで、物語の世界を古里の人々と共有しようとしていたのではないか。

藤沢周平と庄内 なつかしい風景を探して

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