






【龍を見た男】 善宝寺・貝喰ノ池、加茂
「海の上からみると、丘陵は中腹から上が、笠をかぶったように雲に覆われ、傾いた山肌や、その下の磯にへばりつくように塊っている油戸、今泉の漁村が薄暗く見える。加茂の湊は、海に突き出した荒崎の岬に遮られてみえず、向かいあう獅子岩、地獄岩の端がのぞいているだけだったが、雲はそのあたりにも薄青く影を落としていた。陸を覆う雲の端は、高館山の北までのびている。」
油戸(あぶらと)の漁師・源四郎と甥(おい)で由良(ゆら)の寅蔵は、舟に乗って鯛(たい)の延縄(はえなわ)漁をしている。腕はいいが、荒っぽい気性の源四郎は、「険しいぎょろ目と無精髭に囲まれた大きなロ」の男である。寅蔵は色白の、いい男だ。漁仕事にもう一つ腰が引けている。一人前の漁師にしようと源四郎が連れてきた。そして、「こら、寅蔵」と源四郎の塩辛声が飛ぶ。
舞台の加茂(かも)や油戸、由良は今も漁師の町である。海岸沿いを県道が走り、庄内浜きっての景勝地となっている。しけの時など、岩をはむ大波が道路まで押し寄せてくる、荒っぽい海岸だ。
「男は気性と、金だ」と、自分の男ぶりから割り出して、そう思っている源四郎は、金がたまると山を一つ越した加茂の女郎屋に駆けつける。女房の「おりく」は何も言わない。言えば、すぐに腕力を振るう。
そのおりくが、「善宝寺さ、一度行ってみねが」と誘う。夜釣りには出る、海が荒れ気味でも舟を出すという源四郎が心配でならない。およそ、恐れというものを知らないからだ。
大山地区の善宝寺は、龍神さまを守り神にしており、いまも、県内外の漁師が大漁と安全祈願に訪れる名刹である。
「『馬鹿やろめ! 俺は信心なんてものは大嫌えだ。俺は誰の助けも借りねえ。ちゃんと自分の力でやる。よけいだ口叩くな』」
そして源四郎は、相変わらず加茂の女郎屋へ出かけていく。
その源四郎が、おりくに誘われて善宝寺に来たのは、寅蔵が海で死んでから一ヵ月近くが経っていた。櫂(かい)を流された寅蔵は、源四郎が止める間もなく海に飛び込み、潮に流されて二度と姿を現さなかった。
源四郎には、自分が死なせた、という自責の念がある。何より、寅蔵を好いていた「三瀬の娘・ともよ」の、葬式で見せた突き刺すような眼が、源四郎の胸を抉(えぐ)った。おりくの誘いに何となくついて来たのは、心が打ちひしがれていたからだ。
「――何かが、いる。
と思ったのは、おりくの後から歩き出そうとしたときである。源四郎は立ち止まった。自分の顔色が変るのがわかった。池の、青みどろに隠れた深みの底のあたりに、何かがいた。源四郎の二十数年にわたる漁師としての勘が、その気配を掴んでいる。それは魚ではなかった。もっと巨大なものの気配だった。」
善宝寺の、龍が潜んでいるという「貝喰(かいばみ)ノ池」で、源四郎はその時、初めて恐れを抱いた。
この池は、立春に「お水取り」が行われる。善宝寺の、ちょうど裏手に当たり、かつて「人面魚」で有名になったところだ。うっそうとした森に囲まれ、神秘的な雰囲気がいまも漂う。
漁に出た源四郎は、不覚にも霧に巻かれ、海上で方角を失う。潮に流され、源四郎は呟く。「助けてくれ、龍神さま」。その時、源四郎は、巨大な火柱の中を、遠く空に駆けのぼる長大で青黒くうねるものの姿を見た。龍である。
陸が見え、助かった源四郎の眼には、こらえきれない涙があふれていた。
作品には、鰯漁(いわしりょう)や鯛の延縄漁、マガレイの一本釣り、ガンブツガレイ釣りなどが出てきて、江戸期の漁の雰囲気を伝えている。荒っぽい漁師の生活も彷彿(ほうふつ)とされ、加茂、油戸、由良、三瀬、浜中の漁師町を源四郎が歩いているような錯覚にとらわれる。そして、粗野ともいえる男の、信心に至るまでの心の変化が切なく、おかしい。
作品は昭和50年10月5日から「山形新聞」に連載された。藤沢さん48歳。
油戸(あぶらと)の漁師・源四郎と甥(おい)で由良(ゆら)の寅蔵は、舟に乗って鯛(たい)の延縄(はえなわ)漁をしている。腕はいいが、荒っぽい気性の源四郎は、「険しいぎょろ目と無精髭に囲まれた大きなロ」の男である。寅蔵は色白の、いい男だ。漁仕事にもう一つ腰が引けている。一人前の漁師にしようと源四郎が連れてきた。そして、「こら、寅蔵」と源四郎の塩辛声が飛ぶ。
舞台の加茂(かも)や油戸、由良は今も漁師の町である。海岸沿いを県道が走り、庄内浜きっての景勝地となっている。しけの時など、岩をはむ大波が道路まで押し寄せてくる、荒っぽい海岸だ。
「男は気性と、金だ」と、自分の男ぶりから割り出して、そう思っている源四郎は、金がたまると山を一つ越した加茂の女郎屋に駆けつける。女房の「おりく」は何も言わない。言えば、すぐに腕力を振るう。
そのおりくが、「善宝寺さ、一度行ってみねが」と誘う。夜釣りには出る、海が荒れ気味でも舟を出すという源四郎が心配でならない。およそ、恐れというものを知らないからだ。
大山地区の善宝寺は、龍神さまを守り神にしており、いまも、県内外の漁師が大漁と安全祈願に訪れる名刹である。
「『馬鹿やろめ! 俺は信心なんてものは大嫌えだ。俺は誰の助けも借りねえ。ちゃんと自分の力でやる。よけいだ口叩くな』」
そして源四郎は、相変わらず加茂の女郎屋へ出かけていく。
その源四郎が、おりくに誘われて善宝寺に来たのは、寅蔵が海で死んでから一ヵ月近くが経っていた。櫂(かい)を流された寅蔵は、源四郎が止める間もなく海に飛び込み、潮に流されて二度と姿を現さなかった。
源四郎には、自分が死なせた、という自責の念がある。何より、寅蔵を好いていた「三瀬の娘・ともよ」の、葬式で見せた突き刺すような眼が、源四郎の胸を抉(えぐ)った。おりくの誘いに何となくついて来たのは、心が打ちひしがれていたからだ。
「――何かが、いる。
と思ったのは、おりくの後から歩き出そうとしたときである。源四郎は立ち止まった。自分の顔色が変るのがわかった。池の、青みどろに隠れた深みの底のあたりに、何かがいた。源四郎の二十数年にわたる漁師としての勘が、その気配を掴んでいる。それは魚ではなかった。もっと巨大なものの気配だった。」
善宝寺の、龍が潜んでいるという「貝喰(かいばみ)ノ池」で、源四郎はその時、初めて恐れを抱いた。
この池は、立春に「お水取り」が行われる。善宝寺の、ちょうど裏手に当たり、かつて「人面魚」で有名になったところだ。うっそうとした森に囲まれ、神秘的な雰囲気がいまも漂う。
漁に出た源四郎は、不覚にも霧に巻かれ、海上で方角を失う。潮に流され、源四郎は呟く。「助けてくれ、龍神さま」。その時、源四郎は、巨大な火柱の中を、遠く空に駆けのぼる長大で青黒くうねるものの姿を見た。龍である。
陸が見え、助かった源四郎の眼には、こらえきれない涙があふれていた。
作品には、鰯漁(いわしりょう)や鯛の延縄漁、マガレイの一本釣り、ガンブツガレイ釣りなどが出てきて、江戸期の漁の雰囲気を伝えている。荒っぽい漁師の生活も彷彿(ほうふつ)とされ、加茂、油戸、由良、三瀬、浜中の漁師町を源四郎が歩いているような錯覚にとらわれる。そして、粗野ともいえる男の、信心に至るまでの心の変化が切なく、おかしい。
作品は昭和50年10月5日から「山形新聞」に連載された。藤沢さん48歳。
藤沢周平と庄内 なつかしい風景を探して
- 1.【ただ一撃】 小真木原、金峯山
- 2.【又蔵の火】 総穏寺、湯田川街道
- 3.【春秋山伏記】 櫛引町の赤川
- 4.【三年目】 三瀬、小波渡
- 5.【龍を見た男】 善宝寺・貝喰ノ池、加茂
- 6.【夜が軋む】 越沢、摩耶山
- 7.【義民が駆ける】 鶴ヶ岡城
- 8.【暗殺の年輪】 五間川(内川)
- 9.【潮田伝五郎置文】 赤目川(赤川)
- 10.【唆す】 青龍寺、播磨
- 11.【臍曲がり新左】 金峯山周辺
- 12.【隠し剣孤影抄・邪剣竜尾返し】 金峯神社
- 13.【隠し剣秋風抄・暗黒剣千鳥】 致道館
- 14.【用心棒日月抄・凶刃】 寺々
- 15.【三屋清左衛門残日録】 日本海
- 16.【秘太刀馬の骨】 千鳥橋(大泉橋)
- 17.【蝉しぐれ】 城下や近郊の村々
- 18.小鯛の塩焼きやハタハタの湯上げ
- 19.古里の方言への愛着
- 20.ペンネームと海坂の由来