





【一茶】 自己の半生語るように
20代のころ、結核で療養中の小菅留治は馬酔木(あしび)系の俳誌「海坂」に拠(よ)る俳人で、北邨という俳号を名乗っていた。
軒を出て狗(いぬ)寒月に照らされる
という句はその「海坂」に入選したもので、北邨27歳の作である。鶴岡の阿部久書店に、この句の色紙が飾ってあり、後年阿部久書店の先代が書いてもらった色紙だから、署名は藤沢周平となっている。
その色紙をぼくが見たのは、藤沢さんが亡くなった直後のことだから、一昔も前のことになるが、端正な筆蹟(ひつせき)と句のイメージがあっていて、なぜか、これは与謝蕪村の世界だと、ひそかに思った。
そういえば藤沢周平は蕪村の端正な句が好みで、「一茶は、必ずしも私の好みではなかった」(「小説『一茶』の背景」)と書いている。
文芸評論家の藤田昌司が時事通信の文芸記者だったころに藤沢さんにインタビューをしたが、そのとき一茶のよく知られた句ではなく、
木がらしや地びたに暮るゝ辻諷(つじうた)ひ
霜がれや鍋の墨かく小傾城(こけいせい)
の2句が好きだと語ったそうだ。
余談だが、ぼくは小説家の俳句というものについて、以前少し考えたことがあるのだが、芥川龍之介にしろ久保田万太郎にしろ、なにか共通の趣味があるように思われる。専門の俳人から見れば、おそらく食い足りないものがあるのだろう。一茶の「霜がれや…」の句は、万太郎好みといった趣があり、それが周平好みといったことにもなる。
ところで、一茶の句をあまり好まなかった藤沢さんが「一茶」という小説を書くことになったのは、その人生に心を惹(ひ)かれるものがあったからだという。たしかに一茶の屈折した陰翳(いんえい)の濃い人生は小説家にとっては魅力があり、多くの作品が書かれているが、どう考えても蕪村は小説にしにくい。打ち明けていえば、ぼくも菲才(ひさい)ながら蕪村を書いてみようかと、大部の全集にかじりついたことがあるのだが、あえなく音を上げた。
小説「一茶」は、おそらく藤沢さんの作品の中では読者が多いほうではないと思われるが、ぼくの好きな作品のひとつである。作者もこの作品については思い入れがあったのではないだろうか。
前半の「三笠付け」という点取俳諧(てんとりはいかい)から派生した小博奕(こばくち)についてのうんちくは、あきらかに小説の結構(けっこう)を乱している。練達の小説家には珍しいことだが、それを書かざるをえない、あるいはそれを書くことが楽しかったのだろう。俳人北邨の血が騒いだにちがいない。
小説を読みすすむうちに、一茶の人生と藤沢周平の半生の距離が縮まり、しだいに自己を語るかのようになる。庄内の農村から東京に出て、業界紙の記者として苦労した小菅留治と、信州の農村から追放されて、江戸で俳諧師になろうとして苦闘する柏原村の弥太郎の人生に、どこか通じるものがある。
一茶は、一筋縄でいく人物でなく、世智(せち)にたけたずるがしこい世間師の一面もあるが、そのよいところも悪いところも作者は愛情をこめて眺めている。あたかも評判の悪い同郷人をみつめるように。
俳人としての藤沢周平は一茶の句にかんしては、批評すべきことがある。一茶が江戸の俳壇でのし上がるためのうしろ盾と頼む夏目成美に、作者は批評家の役割を托して、鋭い評を語らせたりもしている。夏目成美は初老にさしかかった一茶の句境の変化に目をとめ、貧乏句が多いと指摘する。
一茶の句のこういう変化を、成美は一概にけなすようなことはしなかった。面白い、と言い、独自の芸をつかみかけているかも知れませんなと言ったりする。だが成美はその実、一茶の句が正風からはずれたところで奇妙な実を結びつつあることを察知し、それが、江戸俳壇で通用するものでないことも、冷静に見きわめているのかも知れなかった。
このあたりの記述は、一茶のことに托して、オール読物新人賞を受賞し、直木賞を受賞する前後の作者の心象がいくらか投影しているような気がする。夏目成美のようなうるさ型は、江戸の俳壇ばかりでなく、昭和の文壇にもいたにちがいない。悩み多い新人には、ちくりと胸を刺す一言がある。
こんなふうに作品と作者を結びつけて読むのは、小説の読みかたとしてはまっとうなものではないが、なぜか「一茶」の紙背には、藤沢さんの素顔がちらついてしまうのだ。
(作家、山形市)
【一茶】生涯に2万句以上を詠んだとされる俳人小林一茶(1763-1827年)の生涯をたどる長編。弥太郎(一茶)は長野県の農家の長男に生まれながら、継母に冷遇され、15歳で江戸へ。さまざまな職業を転々とした後、俳諧師になる。各地を旅して歌仙を巻き、才能を認められながら、生活苦から逃れられない。一方幼少期の満たされない思いから、継母・異母弟との遺産争いに執念を燃やす。人間くさい一茶像を描いた。
(2007年7月5日 山形新聞掲載)
軒を出て狗(いぬ)寒月に照らされる
という句はその「海坂」に入選したもので、北邨27歳の作である。鶴岡の阿部久書店に、この句の色紙が飾ってあり、後年阿部久書店の先代が書いてもらった色紙だから、署名は藤沢周平となっている。
その色紙をぼくが見たのは、藤沢さんが亡くなった直後のことだから、一昔も前のことになるが、端正な筆蹟(ひつせき)と句のイメージがあっていて、なぜか、これは与謝蕪村の世界だと、ひそかに思った。
そういえば藤沢周平は蕪村の端正な句が好みで、「一茶は、必ずしも私の好みではなかった」(「小説『一茶』の背景」)と書いている。
文芸評論家の藤田昌司が時事通信の文芸記者だったころに藤沢さんにインタビューをしたが、そのとき一茶のよく知られた句ではなく、
木がらしや地びたに暮るゝ辻諷(つじうた)ひ
霜がれや鍋の墨かく小傾城(こけいせい)
の2句が好きだと語ったそうだ。
余談だが、ぼくは小説家の俳句というものについて、以前少し考えたことがあるのだが、芥川龍之介にしろ久保田万太郎にしろ、なにか共通の趣味があるように思われる。専門の俳人から見れば、おそらく食い足りないものがあるのだろう。一茶の「霜がれや…」の句は、万太郎好みといった趣があり、それが周平好みといったことにもなる。
ところで、一茶の句をあまり好まなかった藤沢さんが「一茶」という小説を書くことになったのは、その人生に心を惹(ひ)かれるものがあったからだという。たしかに一茶の屈折した陰翳(いんえい)の濃い人生は小説家にとっては魅力があり、多くの作品が書かれているが、どう考えても蕪村は小説にしにくい。打ち明けていえば、ぼくも菲才(ひさい)ながら蕪村を書いてみようかと、大部の全集にかじりついたことがあるのだが、あえなく音を上げた。
小説「一茶」は、おそらく藤沢さんの作品の中では読者が多いほうではないと思われるが、ぼくの好きな作品のひとつである。作者もこの作品については思い入れがあったのではないだろうか。
前半の「三笠付け」という点取俳諧(てんとりはいかい)から派生した小博奕(こばくち)についてのうんちくは、あきらかに小説の結構(けっこう)を乱している。練達の小説家には珍しいことだが、それを書かざるをえない、あるいはそれを書くことが楽しかったのだろう。俳人北邨の血が騒いだにちがいない。
小説を読みすすむうちに、一茶の人生と藤沢周平の半生の距離が縮まり、しだいに自己を語るかのようになる。庄内の農村から東京に出て、業界紙の記者として苦労した小菅留治と、信州の農村から追放されて、江戸で俳諧師になろうとして苦闘する柏原村の弥太郎の人生に、どこか通じるものがある。
一茶は、一筋縄でいく人物でなく、世智(せち)にたけたずるがしこい世間師の一面もあるが、そのよいところも悪いところも作者は愛情をこめて眺めている。あたかも評判の悪い同郷人をみつめるように。
俳人としての藤沢周平は一茶の句にかんしては、批評すべきことがある。一茶が江戸の俳壇でのし上がるためのうしろ盾と頼む夏目成美に、作者は批評家の役割を托して、鋭い評を語らせたりもしている。夏目成美は初老にさしかかった一茶の句境の変化に目をとめ、貧乏句が多いと指摘する。
一茶の句のこういう変化を、成美は一概にけなすようなことはしなかった。面白い、と言い、独自の芸をつかみかけているかも知れませんなと言ったりする。だが成美はその実、一茶の句が正風からはずれたところで奇妙な実を結びつつあることを察知し、それが、江戸俳壇で通用するものでないことも、冷静に見きわめているのかも知れなかった。
このあたりの記述は、一茶のことに托して、オール読物新人賞を受賞し、直木賞を受賞する前後の作者の心象がいくらか投影しているような気がする。夏目成美のようなうるさ型は、江戸の俳壇ばかりでなく、昭和の文壇にもいたにちがいない。悩み多い新人には、ちくりと胸を刺す一言がある。
こんなふうに作品と作者を結びつけて読むのは、小説の読みかたとしてはまっとうなものではないが、なぜか「一茶」の紙背には、藤沢さんの素顔がちらついてしまうのだ。
(作家、山形市)
【一茶】生涯に2万句以上を詠んだとされる俳人小林一茶(1763-1827年)の生涯をたどる長編。弥太郎(一茶)は長野県の農家の長男に生まれながら、継母に冷遇され、15歳で江戸へ。さまざまな職業を転々とした後、俳諧師になる。各地を旅して歌仙を巻き、才能を認められながら、生活苦から逃れられない。一方幼少期の満たされない思いから、継母・異母弟との遺産争いに執念を燃やす。人間くさい一茶像を描いた。
(2007年7月5日 山形新聞掲載)
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