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【没後20年・生誕90年】作家・高橋義夫(下) 「習作時代の情念」

2017年07月26日
 「海坂藩」には住みたくない、とわたしはよく冗談で言っていた。派閥抗争が絶えず、裏切りが常態となり、人の足を引っ張り、陰でこそこそと悪口を言う。登場人物は皆、他人の思惑を気にして、声を潜めている。

 ところがこれは「海坂藩」に限らず、初期の市井ものと言うべき作品群で描かれる江戸の商人世界でも同じことだ。「海坂藩」は「世間」である。

 昔の日本人は、様を付けて、世間様という言い方をした。「世間様が見ているよ」などと言う。世間からはじき出されることは、破滅を意味した。

 伊藤整という作家の「近代日本の発想の諸形式」という名著があるが、近代の小説家はおおむね故郷喪失者だという。故郷を失い孤独に文章を書き始めるから、彼らには世間がない。あっても大きなものではない。文壇ジャーナリズムというごく小さな世間しかなく、作家として世に出る前は、同人雑誌仲間というほんの一握りの仲間しかいなかった。川崎長太郎や葛西善蔵といった極北の私小説家を思い浮かべてみる。人外に生きる覚悟を定めた作家にとって、世間などは目に入らない。

 かつて藤沢作品を、わたしがいくつか読むうちに気が付いたのは、この作家は「世間」を描いているということだった。世間の中で生き、死ぬ人間から見た、世間の恐ろしさ、底気味の悪さが、細密に書かれている。世間に背を向けた逃亡紳士には分からない心のありようが表現されている。

 まるで近松門左衛門の心中物を見るように、「世間様」は目に見えない縄で人を縛り付け、見えない壁の陰から、人を監視する。そこから逃れ出ることはできないし、そもそも逃れ出ようと考える人もめったにいない。そういう世間を、藤沢周平のように描き出した小説家は、近代以降ではまれな存在だと思う。

 読者が等しく感じる初期作品の暗さ、息苦しさの淵源(えんげん)はそこにあり、明るい作品だと評される「用心棒日月抄」の主人公が、「海坂藩」の世間から解放された故郷喪失者であるのも、腑(ふ)に落ちる。

 藤沢さんの逝去からさほど間もないころ、「文芸春秋」臨時増刊「藤沢周平のすべて」に収録するために、山形師範学校時代の「碎氷船」の同人たちが山形に集まって座談会を催した。松坂俊夫、蒲生芳郎、那須五郎、小松康祐、小野寺茂三、土田茂範の6氏だった。

 わたしは編集の鈴木文彦氏に誘われて、オブザーバーとして参加したが、若き日の小菅留治(藤沢さんの本名)の「かたむっちょ」(庄内弁で頑固者のこと)の人となりが伝わる、貴重な座談会だった。雑誌では一部分しか残されないが、編集前のテープが残されていれば、改めて全部聞きたいものだ。

 座談会で蒲生さんだったか、「藤沢周平という作家を神格化してはいかん」と何度か口にされた。わたしはその言葉が気になり、後日お目にかかった折りに、真意を確かめようとした。すると、「あの時は、こんなふうになるとは思わなかったからな」と謎めいたことを言って、笑っておられた。いまとなっては、真意は分からない。(山形市)
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