劇団新派の135年記念公演として、25日まで東京で行われた「三婆(さんばば)」に山形から大勢の皆さまにご来場いただき、本当にありがとうございました。山形のいとこは「泣いて笑って共感できる芝居を久しぶりに見た」と言い、ぜひ山形でも上演してほしいと熱望。共演した水谷八重子さんと波野久里子さんの元気なうちに実現できればと思う。
私は若いころから劇団を立ち上げて小劇場で活動してきたが、明治からの演劇の伝統を継承する新派の方たちは大劇場で日に何本もの新作を毎日のように演じてきた。
久里子さんは3歳から歌舞伎の舞台に出演しているプロ中のプロ。芸に厳しく共演者にも自分にも厳しい役者である。八重子さんは舞台にとどまらず、テレビや映画に大活躍を続けてきた百戦錬磨の役者さん。他の新派の役者さんも、きちんとその役の人物を生きるように教育されている。その役のリアリティーを追求する手法である。その手法は徒弟制度で受け継がれているため、その師匠によって演技も微妙に違う。
稽古から本番まで独特の作り方に戸惑う日々だったが、本番を迎え、時を重ねるごとに面白くなってくる。役者たちの工夫も素晴らしく、うそがない。私も毎日笑いをこらえるのがつらいほどである。
八重子さんも久里子さんも微妙に毎日違う演技をするのだが、そこにうそがなく、役をきちんと生きている。その見事な演技に、私も毎日飽きることなく、良い意味の緊張をしながら演じている。役がやりそうなことなら制限なく演じていい雰囲気がうれしい。
そんな中、小劇場の演技の手法や作り方に共通する部分を発見してうれしい驚きを感じた。役を生きる演技法「スタニスラフスキーシステム」に通じる部分もあり、歌舞伎の誇張した美的感覚の部分もある。世界の演技システムの良いとこ取りをしているような雰囲気がある。初めて新派を見たという若い観客も大いに喜んでくれている。
役者だけではなく、スタッフも年配の方が多い。かつらを作り、かぶせてくださる結髪さんも80歳。登場するすべての役者のかつらを担当している。手に職がある方が、亡くなるまで現役でいられるのもすごい。
私自身、着物をきちんと着られないし、男性中心の古風な考え方に反対する部分は多い。だが、135年続く新派の演劇の手法を継承していくシステムが必要なのではないかと思った。
「三婆」に出てくる、芸者もお妾(めかけ)さんも若い人にはピンと来ないだろうし、女中さんという言葉ももう死語であろう。先日、久里子さんが「ばあやがいつも料理を作ってくれた」と話していたが、今の若者で「ばあや」という言葉を知っている人がいるだろうか?
私が28歳の時、初めて商業演劇に出演した役が「下田のばあや」だった。北杜夫さんの小説「楡家(にれけ)の人びと」が原作で、上山市出身の歌人斎藤茂吉のことが書かれている。私は八千草薫さん、酒井和歌子さん、桜田淳子さんが演じる3姉妹のばあやの役だった。
ばあやの仕事は、当時戊辰戦争や飢饉(ききん)などもろもろの事情で生きる術を失った人たちが食べるために必要だったのだろう。今でいうところのベビーシッターの住み込み版のような感じかもしれない。家にばあやがおり、生まれてこの方、料理を作ったことのない久里子さんと一緒に演劇ができていることも面白い。
毎日が勉強である。そして、この勉強もいつか役立つことがきっとくる。自分が体験してきたことを若い人たちに伝えたいと強く思う日々である。連日、年配の方たちが輝く姿を目の当たりにし、自分がまだまだ若造だということを再認識した。今後も新しい体験をしたいという欲求が湧き上がってきた。みんなで手を取り合って高齢化社会を生き抜きましょう。
(俳優・劇作家、山形市出身)
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