渡辺えりの ちょっとブレーク

(214)平和への思い歌に託し

2023/3/31 08:04

 3月5日に山形市の東ソーアリーナで開催した山新3P賞平和賞受賞記念コンサート「夢の翼 愛と平和と自由を求めて」は、皆さまのおかげで大盛況だった。親戚や兄弟、同級生、生まれた村の幼なじみ、フォークバンドの仲間たち。そして高校の演劇部の友達。コンサートが決まってから時間がない中での広報活動でも、山形の仲間たちが協力してくださり、おかげさまで大好評となった。

 コンサートでは、タンゴの名曲を中心に朗読や芝居、踊りなどを織り交ぜた。アルゼンチンでも異端児と言われ、反骨精神の強い、独特で素晴らしい音楽を作ってきたピアソラの名曲に、私ができるだけ原詩に近い日本語を付けた。

 そして、世界的アコーディオン奏者のcobaさんと一緒に作った曲「ひまわりの種をポケットに」を披露した。今なお激化するウクライナへの侵攻。どうしても止めたいという思いを込めた。米沢市で暮らすウクライナ人、マレンコヴ・ヴラッディスラヴさんに取材し、生の証言も朗読させていただいた。

 山形新聞に載ったシベリア抑留の記事も朗読した。戦時中の過酷な状況を乗り越えて山形に帰って来た方たちの思いを伝えることが、未来の子供たちを守ることになると考えている。

 2003年に「非戦を選ぶ演劇人の会」を始め、続けていた朗読の一部も披露した。20年たっても変わらないどころか、どんどん世界での戦争が激化していく状況をみんなでなんとか食い止め、外交で支え合っていけないだろうか? がんで亡くなった親友たちの顔を浮かべながら平和への思いを歌った。

 コロナ禍でも、いただいた山形のお酒やお菓子、漬物の評判が良くて、初めて山形に来たというミュージシャンや役者たちが、みんな山形のファンとなって東京に戻った。

 打ち上げは上山市の旅館三恵。私の母親が同級会のたびに泊まっていた旅館で、母のためにそこに決めた。介護施設にいる母は会場に来ることができなかったが、昨年亡くなった父の平和への思い、そして私の歌が好きだった母にも届けたいと歌った。上山でケーキ店を営む同級生の店でシフォンケーキを食べ、演劇部の仲間の八千代食堂で五目ラーメンを食べ、短い間に山形を満喫した。

 山形の友人たちが成功させてくれたコンサートだった。本当にありがたい。

 別のコンサートを岩手と東京でやった後、知り合いの舞台を見て、善福寺川のつぼみの桜を見ながら久しぶりに散策した後、突然腰が曲がらなくなり歩けなくなった。観劇などをキャンセルして、整体、婦人科、内科、外科と病院に検査に通う日々となる。

 千葉県を歩く仕事があった。神社の階段を勢いよく歩くなど、休みなく働いたためかもしれない。父が心酔していた高村光太郎が智恵子抄を書いた九十九里浜に行きたくて受けた仕事だった。智恵子が走った砂浜を走り、智恵子が放った貝殻を拾い、父の仏前に飾った。両親を連れて一緒に来たかった。

 体のあちこちに不具合が出る年齢かもしれないが、夢を諦めずにコツコツ努力するしかない。そして毎日平和を思い、つくり続けていかなくてはならない。

 天災は自然がもたらすものだが、戦争は人が始めてしまうもの。人の行為は人が止めるしかないのだ。

 みなさん、本当にありがとうございました。

(俳優・劇作家、山形市出身)

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