渡辺えりの ちょっとブレーク

(210)バンドネオンの響き

2022/11/29 08:50

 今月になって3日は山梨、6、18日は山形、そして13日は大阪、19、20日は福岡に行き、タンゴのショーや講演などの仕事をこなした。自分が今どこにいるのか、何を食べたのか忘れてしまうほどバタバタと忙しい。新幹線と飛行機の移動で落ち着く暇がない。

 両親の介護に関する講演もオペラ解説も、前もって資料を読んで準備するのに時間がかかるし、歌を歌うのも歌詞を覚えて何度も自宅で練習して挑む。さまざまな仕事に懸命に取り組んでいるが、寝る間を削ってやるしかない。

 しかし、若いころと違い、準備に時間がかかるようになった。仕事を依頼してくれた方に不手際があると、「こんなに頑張っているのになんなんだ」と文句の一つも言いたくなってくる。若いころより物事に対してこだわりが強くなり、なかなか寛容になれなくなっている。いわゆる頑固おやじ気質になってきているのかもしれない。

 忙しくて余裕がなくなると、カッカと血が頭に上ってくるのだと思う。自分で良かれと思って引き受けた仕事、お客さまが喜んでくれるはずと思い引き受けた仕事ばかりである。お金ではなく情で受けたものがほとんどなのだ。腹が立つのは、引き受けてみると先方は情などなくて、お客さまを呼べればいいだけといったそっけなさや冷たさを感じる場合である。それに対して文句を言うと、こちらが悪者になってしまうという嫌な結果になる。もちろん、そんな依頼者ばかりではないのだが…。

 私ももう十二分に大人なのだから、いったん引き受けた仕事は何があっても黙々と終わし、立つ鳥跡を濁さずに帰り、次回気を付けようと思えばいいのに、といつも思う。67歳、いつになったら温和で豊かな大人になれるのだろう。

 タンゴのショーで共演したバンドネオン奏者は82歳。何時間ものリハーサルをこなし、本番でも10曲以上演奏をこなす。すごい体力と気力である。不満を口に出すことなく、愉快そうに演奏する。アーティストであり職人である。こんな神様のような老人に私もなれるのだろうか? わがままで子供っぽい老人なんて少しもかわいくないなあ、とつくづく思う。

 私の父は介護施設で、いつも明るく職員の方々に「ありがとう」と声を掛けていたらしい。亡くなった時に職員の方々から寄せ書きをいただき、私は感激して泣いた。「父のようになろう! なりたい」と思ったのだ。感謝の気持ちを忘れずにいつでもお礼の言える人になりたい。もう今年もあとわずか。新年からそういう人間になろう。

 ピアソラは、アルゼンチンの作曲家でバンドネオン奏者である。今年は生誕100年の催しが頻繁に行われているが、その素晴らしい曲は一部のタンゴファンにしか知られていない。

 バンドネオンという楽器も知られていないが、一度聞いてみるとその魅力が分かると思う。アコーディオンが発明された20年後にドイツで開発され、移民によってアルゼンチンに入り、盛んになったと言われている。マイクがなくても大きな音が出てコンパクト。見た目も美しい楽器だ。先日、私が演出した舞台「ぼくらが非情の大河をくだる時」でも、バンドネオン奏者の鈴木崇朗さんに生演奏してもらい大人気だった。

 しかし、演奏するのが非常に難しいらしく、日本には奏者がまだ10人しか存在しないそうだ。その中の一人、川波幸恵さんから10年以上前に譜面が届き、歌ってほしいと言われたのが、ピアソラの「ロコへのバラード」と「チェタンゴチェ」だった。

 川波さんと出会ったのは、世界的なアコーディオン奏者・コバさんが主宰した蛇腹楽器のコンサート。その後、私の書いた作品「りぼん」に出てもらってお付き合いが続き、今回福岡で「りぼん」の中から「待ちましょう」と「りぼんの歌」を歌った。関東大震災から今日まで厳しい現実と闘いながら、常に希望を失わずに生きてきた日本の女性たちを描いている。作中の平和を待ち望む歌と社会の犠牲となってきた女性たちへの鎮魂歌だ。「りぼん」はいつか山形でも上演したい作品だ。

 タンゴもぜひ、山形の皆さんに触れていただきたい。12月18日には、東京・浜離宮でショーがある。ダンスは先日の舞台でも大活躍したすみれ&玉井。演奏は「私の恋人」で音楽監督をした三枝伸太郎さんがピアノ、バンドネオンは鈴木崇朗さんが担う。私がすべて訳詞したピアソラを一度聞いてくださいね。

(俳優・劇作家、山形市出身)

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