渡辺えりの ちょっとブレーク

(208)運命の作品、50年後に演出

2022/9/29 09:43

 27年ぶりのシアタートップスで、私が演出する公演「ぼくらが非情の大河をくだる時」が10月22日から始まる。

 前回の公演時は40歳。結婚した年で、テレビのバラエティー番組が取材に来てくれた。小さな舞台に30人ほどの劇団員たちがカエルの扮装(ふんそう)で飛び回る「深夜特急」という私の新作で、団地の屋上から飛び降り自殺をしてしまった少年の家族が、その死を受け入れられずに苦悩するという内容だった。

 その時の映像で私はカエルの着ぐるみを着て、鼻を黒くしていた。まだ40歳だったので、カエルの役で舞台をぴょんぴょん跳び回っていた。カエルたちは、その少年が大事にして手入れしていた箱庭にすんでおり、家族が少年の残したその箱庭に入り込んで少年の心を探るという幻想シーンに登場するのだった。

 「ぼくらが-」は、私が17歳の高校生の頃に山形市の八文字屋で読んだ演劇雑誌「テアトロ」に掲載されていた清水邦夫さんの戯曲である。19歳から70歳までのオーディション合格者たちと演じる。コロナ禍で大勢が出演するシーンは自粛していたが、今回は久しぶりに集団シーンに挑む。

 劇団3○○(さんじゅうまる)でも現在のオフィス3○○でも、自分以外の作品の演出はしたことがなかった。依頼され、唐十郎さんや他の作品を演出したことはあったが、自分が主宰する団体では本当に初めてのことである。

 「現在67歳の私が、あと何年舞台の演出をできるのか?」と考え、自分が演劇の道に進もうと決意した50年前に影響を受けた作品を年に一度演出してみたいと強く思った結果であった。

 入場料は一般4千円、25歳以下3千円と、皆さんが見やすいように安く設定したら、満席でも大赤字の計算になってしまった。

 劇団員でも大変だった作業を初めての人たちとやる。小道具や大道具、衣装と、作れるものは何でも自分たちで作り、集め、予算を抑える。山形西高演劇部の頃とまるで同じである。

 演出で毎日くたくたになり、帰宅してから他の仕事はなかなかできない。演出のための説明だけで声もかれてしまう。自分が役者として出ていないというのに体中が痛い。昔は24時間稽古しても疲れなかった私が、8時間でもぐったりしてしまう。

 しかし、今の時代、好きなことをやり、やりたいと願う多くの人たちの力を結集して稽古ができることは本当に幸せだと思う。

 「ぼくらが-」が初演された1972(昭和47)年当時の両親なら、目くじらを立てて怒るような内容である。舞台はホモセクシュアルの男性たちが夜な夜なたむろする発展場の公衆トイレ。そこに、その場所を革命の夢に破れた少年たちの遺体が眠る場所だと錯覚している狂った詩人が現れる。詩人と、詩人に翻弄(ほんろう)される元革命家の兄とその父親の3人が当時の現代社会に飲み込まれ、自滅していくといった芝居だ。

 69(同44)年に東大の安田講堂攻防戦があり、連合赤軍による「あさま山荘事件」が起きた72年は、沖縄返還の年でもあり、漫画「ベルサイユのばら」の連載が始まった。私が心酔していた「ザ・タイガース」が解散した翌年のことである。

 今回、アフタートークには、私が尊敬しており、初演で兄を演じた石橋蓮司さんや、「ザ・タイガース」のドラムだった瞳みのるさん、72年のレコード大賞新人賞に輝いた麻丘めぐみさん、ジェンダー研究者で全共闘世代の上野千鶴子さん、初演に出演していた木場勝己さんらを迎える。

 50年前に生まれていた人がほとんどいない稽古場で、声をからしながら当時の状況を説明している演劇オバサン。何でもスマホで報告する世代と約30人でマスクを着け、消毒しながらの稽古の日々である。

(俳優・劇作家、山形市出身)

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