渡辺えりの ちょっとブレーク

(198)準備に見舞い、慌ただしい日々

2021/11/30 10:11

 4月から渡辺えり事務所を立ち上げてコツコツと仕事を続けている。

 12月4、5日に山形市の東ソーアリーナで開くコンサートの準備に追われているが、先日、父親が入院して手術することになり、急きょ山形に1週間ほど帰った。合わせて新作の取材やコンサートの打ち合わせなどを行い、慌ただしい日々となった。

 コロナ禍、父親とはガラス越しの10分のお見舞いしかできなかったが、元気に退院した姿を見ることができた。95歳の驚くべき回復力だ。母は食欲がなく痩せてしまい、私がお見舞いに行くたびに泣いてしまう。幼子のようである。介護できない親不孝に、じだんだを踏んでも仕方がない。両親の喜ぶことをして自分で納得するしかない状況である。

 両親は私のコンサートをいつも楽しみにしてくれていた。親戚も友人たちも元気が出たと言って喜んでくれた。コロナ禍でも故郷でコンサートができることに感謝して歌いたいと思う。両親にはビデオを撮り、介護施設で見てもらうことになった。

 今回のコンサートのために新しい歌を2曲作った。9年前にがんでなくなった親友にささげる歌と、今を生きる皆さんへの応援歌。私が詩を書き、今回のバンドリーダーの川本悠自さんとピアノの佐山こうたさんが、それぞれ作曲してくれた。出来立てほやほやで、今覚えている最中だ。他にも初めて歌う歌が多く、苦心しているが、苦労は終わった後の大きな喜びになると信じている。4日午後5時からの公演は、まだまだ席に余裕がありますのでぜひいらしてください。

 シベリア抑留の資料館を自宅に作った村山市楯岡の下山礼子さんにも取材に伺った。満蒙開拓団として送り出された数は、山形県が長野県に次いで2番目に多いのに公共機関に資料館はない。下山さんのお宅には、全国から送られてきた貴重な資料が所狭しと展示してあった。下山さんの叔父さんがシベリアから帰り、40年たってから一気に書いたという絵日記があり、残酷さがリアルに迫ってくる。寒河江市の渡辺八郎尉門さんが抑留の様子を描き、京都府舞鶴市の舞鶴引揚記念館に寄付したという絵画も貴重だ。来年は舞鶴に行き、その絵を見るつもりでいる。

 貴重な資料が受け継がれずに焼かれたり捨てられたりするのを止めたい。戦争を二度と起こさないためにも、県内に公的な資料館が必要ではないかと強く思った。それにしても抑留された女性の資料は乏しい。女性は55万人中600人だけで、抑留者も女性の姿を見たことがないと証言するほどだ。その実態を調べるのは大変な作業となる。存命の方も少なくなっており、私も急がねばならないと思っている。

 下山さんの資料館は、私の高校時代の演劇部の友人の家、菓子屋「吉藤」の近くだった。久しぶりに吉藤にもお邪魔して楽しいひとときを過ごした。

 また、山形市出身の劇作家・後藤ひろひとさんが古里でオーディションをし、山形発の公演を企画しているというニュースを読んだ。素晴らしい。私の念願でもあった夢を後藤さんが実現する。心から応援したい。市役所で文化振興の担当者にもお会いしたが、皆さんやる気満々だった。私も故郷がどんどん活気に満ち、文化の発信の場所になることを願い応援します。

 皆さん、12月4、5日のコンサートでお待ちしています。一緒に楽しみましょう。

(劇作家・俳優、山形市出身)

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