渡辺えりの ちょっとブレーク

(197)12月、故郷山形で歌とトーク

2021/10/30 12:49

 4月から舞台の仕事だけではなく、ドラマやバラエティー番組、雑誌など商業的な仕事も渡辺えり事務所で行うことになって7カ月がたった。今までやってこなかった地方での仕事や原稿執筆、歌のライブ、そして劇作家協会の仕事など、寝る間もない、食べる間もないほどの忙しさである。

 演劇をやろうと思った16歳の頃の初心に立ち返るというのが独立した目的であったが、当時の忙しさを思い出し、母に毎日起こされて登校した山形西高時代のことを思い出した。

 授業やクラブ活動、文化祭の企画など、16歳の頃も非常に忙しかった。夜遅くまで稽古し、老婆役として染めた白髪のまま、着物の喪服姿で帰宅して、夜道に通行人からぎょっとされたことなども思い出した。帰宅後に脚本を書き、衣装のプランなども考え、深夜に寝て、登校ぎりぎりに起きて、チャイムと同時に走りこんで校門をくぐる日々だった。66歳の今と違うのは、母親が掃除も洗濯も料理も、すべてやってくれていたということである。

 同じくらいの忙しさに加えて家事。銀行に行ったり、税金を払ったり、高校時代よりも煩雑で厄介な仕事がプラスされる。

 朝、洗濯して片づけなどをすると、あっという間に午後になってしまう。仕事に行き、原稿を書いて、歌作りなどをしていると、ご飯を食べる間もなく、午前3時になっている。

 年配になっているので名誉職のような仕事が多く、大変な仕事のわりに収入はない。年を取ったら、社会の未来のために貢献するのは当然だろうが、ゆっくりと落ち着いた時間が得られないと新作の構想を練ることもできない。

 年内にどうしても書きたいのは「シベリア抑留」された女性たちの話だ。その中の一人、赤星治(はる)さんは94歳。娘さんは高校時代にバンドを組んで、フェスティバルで入賞した仲間の一人だ。お母さまが元気なうちにぜひ完成させたいと願っている。赤星さんと同い年になる私の父の話「光る時間(とき)」を書き上げるのには10年かかったが、何とか3カ月で頑張りたい。

 山形で上演するのが夢なのである。

 地方での仕事を受けるようになったと書いたが、10月末にルーマニア親善大使に任命された。コロナ禍なので、任命式などは来年の春になりそうだが、若い頃からのあこがれの国・ルーマニアの親善大使になろうとは! きっかけは「オールドリフレイン」という、ルーマニアを舞台にした戯曲を書いたことだ。私が20歳の頃、文化人類学者の山口昌男さんが雑誌「辺境」に書いたルーマニア紀行を読んで興味を持ち、いつかマラムレシュの里に行きたいと思って手掛けた作品だった。

 マラムレシュの里にはいまだに電気がなく、呪術師たちが村の催事を仕切り、病気を治す医師の役割も果たしていると書かれていた。実際に行ってみてどうだったか? なぜ大使からの任命を受けたのかは、次号に詳しく書きます。

 地方での仕事を受けるようになったという報告からルーマニアに飛んでしまったが、12月4、5の両日に山形市の東ソーアリーナで久しぶりに渡辺えり「夢見る力」コンサートを開催する。「古里限定スペシャルライブ」と銘打って、過去から未来までの自分自身の人生と故郷山形で影響を受けた方たちの思い出話、そして山形での演劇作りの話など、今後皆さんと共に心豊かに暮らしていくための話などもさせていただきたいと思っている。映画「マルサの女」で有名な、作曲家でサックス奏者の本多俊之さんがゲストで出てくださるのも楽しみだ。

 演劇のために建てられた小劇場東ソーアリーナも、山形の宝として大切に残したい。

 11月10、11の両日は、銀座にある老舗のシャンソニエ「蛙たち」で私のソロライブがある。「タンゴ、タンゴ、タンゴ」と題し、ピアソラをはじめとするタンゴの名曲に私が日本語の歌詞を付けた。東京においでの際はぜひいらしてください。

(劇作家・俳優、山形市出身)

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