渡辺えりの ちょっとブレーク

(196)全部が◯教えてくれた恩師

2021/9/29 15:00

 第65回記念酒田市民芸術祭の一環で、19日に同市民会館で講演した。コロナ禍で実現できなかった3年前からの約束を果たし、今後の文化芸術の重要性を語った。酒田市出身の歌手・白崎映美さんが来てくれたので、最後に壇上に上がっていただいた。酒田の皆さんの、明るく前向きな人柄が分かる楽しい会になった。

 その中で、山形六小で3年生から5年生まで担任だった太田康夫先生の話をさせていただいた。というのは、前日に逝去なされたと連絡を受け、講演後、山形市の先生宅でのお通夜に行くことになったからだ。

 先生は私に作文の面白さや興味深さを教えてくださり、小学1、2年時にいじめを受けて不登校のようになっていた私を救ってくれた方でもあった。

 作文の授業で先生は「手のひらにろうそくがあると仮定し、その炎が赤いか? 青いか? それとも消えているか?」と尋ね、「赤い炎は生きる力、青はお化けが出るような恐怖心、消えて煙が漂っているなら、命が消えた寂しさを感じるかもしれない。その想像はどれもが正しい。つまり作文には不正解はない。何を書いても全部が〇で、×はない」とおっしゃった。

 その時の驚きとうれしさはなかった。全部が〇の世界。そんな世界の住人になりたいと願った。そして私が文章を書くと褒め、歌えば声が良いと褒めてくれる。いじめられっ子だった私はみんなに一目置かれ、学級委員になり、学芸会でも活躍するようになった。

 先生に出会わなければ、こうして劇作家になり、日本劇作家協会の会長を務めることもなかったと思う。

 先生は昨年まで、私が舞台の招待状を送るたびに直筆の手紙をくださった。2年前に私の作・演出で県民会館で上演した舞台「私の恋人」も見に来てくれた。公演後に話をするのを楽しみにしていたが、疲れてお帰りになり、電話で話したのが最後になった。亡くなられた先生の顔は若々しく、つやつやとしており、突然の死であったことがうかがわれた。大好きだった先生が亡くなってしまった。

 そして、22日はコンサートのため北海道へ。15日に舞台「老後の資金がありません」を終えてから、休みなく働いている。

 一風変わったコンサートで、昼間は観音寺という寺で、お釈迦(しゃか)様の像の前で法要ライブをした。住職のお経に合わせて死者を悼む詩の朗読をしてほしいと言われ、9年前に亡くなった親友「ワンコ」の葬式の時に自分が書いた弔辞を朗読した。9年たっても涙があふれる。檀家(だんか)たちも皆さん泣いていた。その後、シャンソンの「バラ色の人生」と関東大震災や第二次世界大戦を乗り越えた女性たちへの鎮魂歌「りぼんの歌」、親友がいつもリクエストした「ローズ」を歌った。ローズは東日本大震災の時に仮設住宅を回って歌った曲で、親友の危篤の連絡を受けた時も歌っていた。3曲とも自作の歌詞である。

 夜は酒蔵を改造した劇場でのコンサート。父親の遺志を継ぎ、4年前から劇場を運営する息子さんと、バンドネオン奏者でもある住職2人の企画だった。タンゴを中心とした15曲を歌ったが、コロナ禍に駆け付けてくれたお客さまたちの熱い心が伝わってきた。22日の太田先生の葬式にはうかがえなかったが、お彼岸の法要で歌うことができ、先生と親友に守られてのコンサートとなった。

 10月7日に放送予定のテレビ番組「徹子の部屋」の収録では、同15日に東京のヤマハホールで開かれるリサイタルの宣伝をさせていただいた。この親友と高校生の頃に組んでいたフォークデュオ「やぎ座」の話もした。亡くなった後、ステージで、親友とデュエットした歌を娘さんと歌ったエピソードなどを話しているうちに、何度も泣いてしまった。12月4、5の両日に山形市の東ソーアリーナで開催する「夢見る力コンサート」でもワンコとの思い出の歌をたくさん歌おうと思う。

 「老後の―」で親友役の高畑淳子さんと別れるシーンがあった。「年を取っておばあさんになっても、思い出話をたくさんしようね」というせりふが、いつも泣いてしまってうまくしゃべれなかったのは、ワンコが亡くなってしまい、もう思い出話を語ることができないからである。

 親友を亡くすということは自分もなくすこと。それでも生きていく。お客さまの笑顔が自分の生きる支えになっている。10月7日の番組をご覧ください。12月もお待ちしています。

(劇作家・俳優、山形市出身)

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