渡辺えりの ちょっとブレーク

(193)あこがれの登紀子さん

2021/6/29 09:32

 6月6日に山形市の東ソーアリーナで加藤登紀子さんの「さくらんぼの日コンサート」があった。たまたま両親のお見舞いで山形にいたので、弟夫婦を誘って出掛けて行った。

 6という数字を並べると双子のかわいいサクランボに見えることから、登紀子さんが知事に進言して「山形さくらんぼの日」と決めたのだそうだ。私はその日、登紀子さんから聞くまで知らなかったが、山形出身の者にとってはありがたい楽しい日となった。全国でさくらんぼの日を祝ってくれたらうれしいではないか。

 6月6日に、山形花笠まつりの前段としてサクランボフェスティバルを開いたらどうだろう。知事がよくかぶっているサクランボの帽子をかぶって、みんなでサクランボダンスを踊って競い合い、歌や演劇などアートを取り入れた内容にしたら面白いと思う。今度知事に提案したい。

 登紀子さんは震災以後、毎月11日に土の日ライブを開催して配信しており、今月はゲストに私を呼んでくださった。毎回、笑福亭鶴瓶さんや森山良子さんなど豪華なメンバーと愉快で興味深い対談をしているのだが、今回は私にコロナ禍の演劇や独立して思うことなどを話し、歌も3曲歌ってほしいとおっしゃった。

 昨年開いた私のライブに来て、歌を気に入ってくださったのだ。その前日に金沢で開かれた「浅川マキ追悼ライブ」でたまたまご一緒し、なんと楽屋が同じだった。加藤登紀子、カルメンマキ、渡辺えり。この3人が同じ楽屋に2日間もいたのだ。私は生きた心地がしなかった。

 子供の頃から紅白歌合戦などで見続けてきたあこがれの歌手たちと同じ部屋でメークし着替え、弁当を食べる。この緊張を想像してほしい。

 翌日のコンサートで歌う新曲を必死に覚えようとしていたのだが、登紀子さんの前でそんなことはできない。楽屋での登紀子さんの話はとても愉快で、私が何か話すと本当に面白そうに大笑いしてくださる。そして、話すこと全てがポジティブなのだ。若いころの失敗も海外に行った時のエピソードも、明るく豪快に話す。話を聞いているうちに大好きになってしまった。

 そして、本番の10分前までもあきらめずに新曲の練習をしている。リハーサルの時には完全に覚えきれていない歌でも、本番直前にものにしてしまうのだ。

 登紀子さんはお酒も強い。金沢では本番の前日に郷土料理の居酒屋で地酒を飲み、ほろ酔い気分でホテルに帰ったのだった。

 常に新しいことに挑戦し、新しい歌を作る。苦労しているのだろうが、苦労を全く見せずに笑っている。私のちょうど12歳上の78歳である。「私もこんな大人に成長したい」とお会いして思ったのだった。

 登紀子さんのスタッフたちは「山羊座のO型、ひつじ年」と、全て重なる私と登紀子さんをそっくりだという。電話でスタッフに指示している私の声を聞き、登紀子さんかと思って振り返った、というほど似ていたという。未来を笑いながら語り、過去の検証も怠らない。私もあの身軽さを持ち合わせたい。いつも大きな羽を体にたたんでいて、どんな時でもひょいと飛び立つ用意がある。そんな感じなのである。

 土の日ライブでは「ルクンパンチェロ」「サマータイム」「ザ・ローズ」を歌わせていただいたが、登紀子さんは真剣に褒めてくださった。緊張していたので、褒めていただき本当にうれしかった。これから婦人公論で対談し、10月3日に兵庫県で開く「日本酒の日コンサート」にゲストで出ることになった。

 俳優をめざし、学生時代は演劇部唯一の女性だった登紀子さんは、父に反発して東大に入り、反発して歌手になったという。女は大学なんか入らなくていい、歌手になんかなれるはずはない。こんな言葉に本気で反発し、死ぬ気の猛特訓で全てを成し遂げたのだ。

 イメージが重なったのは岡本太郎さんだった。暗い題材を明るく過激に構築し直すあの迫力。「芸術は爆発だ」といってはばからないあの熱情。既成概念を取っ払った太郎さんのイメージを登紀子さんに持った。

 太郎さんとは、私が30歳のころにドラマで共演させていただいた。太郎さんは入院している設定だったが、本当に寝てしまったり、私がお見舞いのせりふをしゃべると突然おならをしたりと、奇想天外な演技をされる方だった。いつか役者としても、どこかで登紀子さんと共演するような気がしてならない。

 7月から舞台の稽古が始まる。「老後の資金がありません」という作品で、高畑淳子さんと大いに歌って踊る。シビアな話を、それこそ明るく演じてお客さまに大笑いしていただくのが願いだ。高畑さんとは初共演。演技のうまい高畑さんの胸を借りて思いっきり新しい自分に挑戦したいと思う。

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