渡辺えりの ちょっとブレーク

(190)女性たちの抑留体験戯曲に

2021/3/31 13:38

 ようやく介護施設の両親と会えた。正月は誕生日のプレゼントを持って入り口でお願いしたが、コロナ禍の体制は厳しく泣く泣く東京に戻った。この3月、ガラス越しに10分間の面会が許された。土日月は絶対に無理ということで、火水の両日に10分間ずつ会うことがかなった。厚いガラス越しなので声は聞こえないが、2人とも元気で喜んでくれているように思える。職員の方たちも親切に通訳してくださった。いつまでこんなことが続くのだろう。

 父が昔から庭に植えるのが夢だったライラックの林を作ろうと親戚に頼んでいるが、父が開花したライラックを見に外出することはかなうのだろうか?

 私が山形に帰っている間、何と山形のコロナ患者が急に増え、大きなニュースになってしまった。周りの親戚も友人たちも、こんなに真面目に外出せずに頑張っているのになんということだ!

 切なくなってくる。そのために会うはずだった友人、親戚と全く会わずに東京に戻ることになった。

 今回の帰郷には、もう一つの目的があった。高校時代にフォークロックグループを組んでいた仲間のお母さまが、先の大戦の際にシベリアに抑留されていたことが分かった。50万人の捕虜はすべて男性だと思っていたので大いに驚いた。そのうちの600人が女性だったのだ。戦争の残酷さ、恐ろしさ、哀(かな)しさを若い世代に伝えていく責任が私たちの世代にはあると考える。そして、女性であることで差別されてきたという現実も。そこで女性の視点から新作戯曲を書こうと決意し、取材に伺ったのである。

 94歳。父と同世代のお母さまは元気でしっかりしている。東京で手に入れたロシアの黒パンや紅茶、チョコレートなどを手土産にして伺った。ロシアの食べ物を食べて思い出していただこうと思ったのだ。思い出したくない残酷なエピソードも。

 帰国した151人の女性たちは、日本に帰ってからも多くを語らなかった。当時の日本には、語ることのできない現実があったのだ。敵国よりも厳しい偏見と女性蔑視である。今生き残っている方たちに取材して、今まで言えなかったことを聞き、真実を探り、お客さまに伝えたいと考えている。コロナ禍で自粛していると、どうしても戦争中に悲惨な思いをなさってきた人々の体験と重ねて考えるようになってくる。今だからこそ、書かなくてはならないことがあるはずである。

 シベリアに抑留された女性たちの話はその序章として、30日に小学館から発売された「せりふの時代2021」に、新作の短編戯曲として掲載される。全編山形弁で書いたので、ぜひ読んでいただきたい。休刊が惜しまれた演劇雑誌の待ちに待った復刻版であり、他にもベテラン、新人と個性豊かな劇作家たちの作品が載っている。

 コロナが落ちついたら、山形で演劇のワークショップも始めたい。生の舞台を体験できる機会が少なくなり、その魅力を知る子供たちも減ってしまった。演劇の楽しさを伝えたい。そして、その光景を配信できれば、全国に山形で作る演劇を発信できると考えている。

 このコーナーの担当者が3月から変わるので、久しぶりに山形新聞社に挨拶に伺った。このコーナー初の女性記者で、私と同じ山形西高の卒業生だった。この連載を始めて16年。初めての女性記者である。「あっ! 女性記者だ」と驚かなくてもいい時代を目指して、ともに頑張っていきましょうと約束したのだった。

(女優・劇作家、山形市出身)

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