(14)なくしたくない古くからの記憶~渡辺えりの ちょっとブレーク|山形新聞

渡辺えりの ちょっとブレーク

(14)なくしたくない古くからの記憶

2006/2/23 18:09

 2月3日、東京・雑司が谷にある鬼子母神のお堂で豆まきがあった。法明寺という日蓮宗のお寺が管理しているお堂で、境内には屋台が並び、お坊さんたちがこの日のために設置した大きな舞台がある。櫓(やぐら)には紅白の幕が飾られている。

 この境内には、春と秋の2回、唐十郎さんが主宰する劇団「唐組」のテントが張られ、公演が行われる。私も、18歳で上京して以来見続けている唐さんの世界を、この境内で堪能する。唐組のテントは、前は新宿の花園神社と決まっていたが、10年ほど前から鬼子母神でもやるようになった。それよりだいぶ以前の「状況劇場」時代に、当時の劇団員が鬼子母神の住職に交渉した時には断られたそうなのだが、先代の住職のお嬢さんが唐さんのファンで、断ったことを後で知って猛反発し、「今度依頼されたら絶対に断らない」という念書を書いて代々受け継ぐようにしていたのだという。一度断られたことを知らなかった唐組のメンバーが頼みに行くと、待ってましたとばかりに新しい住職が引き受けたということらしい。

 その縁から毎年、唐さんが豆まきを頼まれていたのだそうである。今年は唐さんから私も依頼されて、豆まきをすることになった。洋服の上から裃(かみしも)を着て、お寺からお堂までの小道を練り歩き、お堂の中でお経を聴いて、お神酒をいただいた。裃のメンバーは唐さんと私のほかに、行司の木村庄之助さんやプロゴルファーの方、オペラ歌手の方、城戸真亜子さん、谷隼人さんらと、檀家(だんか)の年男の方々などであった。

 近所の方々の前で年頭のあいさつを一人一人していくのだが、私が一番若年で、ひどく緊張してしまった。唐さんに恥をかかせてはいけないという一心で頑張った。檀家の方々が昔の火消しのような扮装(ふんそう)で木やり歌を歌いながら先導してくださる。この歌が素晴らしく心に響く。お堂の中にはたわわになった木彫りのザクロが飾られ、20人ほどのお坊さんたちが一斉にお経を唱える。木魚と太鼓でリズムを取りながら唱えるお経は速いテンポの、まるでラップのようである。どうしても体が動いてしまうほど小気味のいいリズムで、聴いているうちに泣きそうになるくらい感動してしまった。

 いよいよ舞台に上がると、大勢の老若男女が下に集まっている。お坊さんが太鼓をたたいているうちにまいて、やんだら絶対にまいてはいけない。そうしないと人々が将棋倒しになったりして、けがをしてしまうからだそうである。「わが寺は豆まきで今まで一度もけが人を出したことがありません。絶対に守ってください」。お坊さんの一人がマイクで言う大まじめな声に思わず笑ってしまった。

 舞台の上から下を見ると、みんなハンカチや紙袋を持って、ここに入れてくれと叫んでいる。一番前には子供たちがずらりと並んでいる。鬼子母神なので「福は内」だけ唱えながら豆をまく。「『鬼は外』とは絶対に言わないでください」。みんな念を押されている。「福は内」と何度も言いながら豆をまくと、子供たちが笑顔で豆を受け取ろうと必死である。

 人々の様子をまきながら見ているうちに、また涙が込み上げてきた。みんなの表情が豊かなのである。まるで江戸時代の子供のように見えるのだ。時が返っていくようである。さまざまな暗いニュースが続いたことが、まるでうそのようであった。何百年もここでこうして豆まきが続き、人々が夢を求めてこの境内に毎年集まっていることを思うと、どうしても胸が震えるのである。変わらないものがある。この感覚を失いたくないと思った。

 膨大な量の豆が小さな袋に入っていて、その袋をまくのだが、後でいただいた袋をひとつひとつ開けてみると、30個ほどの豆と一緒にキャラメルが入っているもの、クッキーが入っているもの、お札が入っているもの、豆だけのものと、工夫が凝らしてある。当たり、外れもきちんと考えているのだ。何日も徹夜でやらなければ到底できない作業である。若いお坊さんの顔が一人一人浮かんで、また泣けてきた。

(劇作家・女優、山形市出身)

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