1月31日までの、2カ月間の舞台の本番が遠い昔のことのように慌ただしい毎日を送っている。翌日からNHKのドラマの撮影に入り、名古屋の短大の卒業記念講演、客員教授を務めている関東学院大学の授業、そして、父の母校山形大学での講演と、今月も休みがないまま中旬まできてしまった。24日と25日は渡辺流演劇塾の卒業発表会があり、19日から集中稽古(けいこ)が始まるが、ドラマの撮影がその間にも入っている。
家中散らかり放題、重要な資料も書類の山の中に埋まってしまって、いくら探しても見つからない。自分の家の片付けもできないような自分が、山大生に「山形の未来」を語っているのが恥ずかしいが、本当に寝る間もないくらい忙しいのである。年末年始も帰郷できなかったので、今回はゆっくりと両親と語り合いたかったが、東京にもどる前にちょっと実家に寄って顔を見るだけとなってしまった。中学校のバスケットボール部顧問をしている弟はその日試合に出かけなければならず、顔を見たのは5分だけ。
霞城公園の桜が咲くころに、なんとかゆっくり実家に帰りたいものだと思う。伯母は亡くなり、伯父も叔父も入院中で、早く親孝行しなければと焦るのだが、仕事に追われていると、身内のことが一番後回しになってしまう。毎年、思いだけはあるのに今度今度と先延ばしにしているうちに、父ももう80歳になってしまった。
雪の降らないいつもよりは暖かい山形だったが、その翌日には半袖のTシャツで沖縄の那覇市のホテルにいる。琉球新報社の依頼で講演にやってきたのだ。ハードな舞台の後の2月はのんびりしたいと思っていたのに、どうしていつもこうなってしまうのか? このままでは仕事のできない体になってしまう。
しかし、若い大学生たちの熱心なまなざしに出会うと、徹夜明けの体が緊張感で引き締まり、逆に励まされる思いがする。18歳で親戚(しんせき)もいない東京に出てきて食えるようになるまでの長い間、私は周りの大人たちに支えられて生きてこられた。しかられたり、ご飯をごちそうになったりしながら成長できたのだ。今度は私が若い人たちを支えていかなければならないと、やはり思う。それが、今まで支えてくれた人たちへの恩返しになるのだろう。
目的がなかなか見つけづらい、きびしい世の中になっている。私の若いころと違って、大人たちは自分の悩みで手いっぱいで、自分の欲望を満たすことだけを考えている身勝手な大人たちも増えてきているように思う。そんな大人たちや友人たちに気を使いすぎて、心を閉ざしていく若い人も多いように思われる。大人には、子供を大人に育てる責任がある。私もまだまだ未熟だが、大人としての本来の役割を果たせるように努力していきたいと願っている。
夕食を食べに那覇の有名な「ツバメ食堂」に案内してもらい、ゴーヤーチャンプルー、グルクンという魚の空揚げ、田芋の空揚げ、海ぶどう、そして、ヘチマのみそ煮など本場でしか食べられない料理をいただいた。ツバメ食堂は市場の2階にあり、市場の新鮮な魚介類をそのまま調理してくれるのだ。
生まれて初めて食べた田芋と海ぶどうの味は、不可思議で美味だった。田芋は田んぼで栽培する里芋のような芋らしく、それをつぶして揚げ物にしたお菓子のようなもの。海ぶどうは陸で養殖した海草で、小さい卵のような粒が鈴なりについている。酢じょうゆで食べると、ほのかにシソのような風味があり歯ごたえがある。出された皿のすべてが、減量しようと思っている身にはつらいおいしさだった。前日食べた母の手料理の五目ご飯、小ナスの漬物と青菜漬け、そして干したゼンマイの煮物もおいしかった。
心の表現が苦手になってしまったと言われる若い人たちにまず、こうしたおいしい手料理を食べてほしいと思った。それには私が作れるようにならなければと思う。今度帰郷したら母と一緒に作りたい。今度こそ。
(劇作家・女優、山形市出身)