(41)進化する舞台に~渡辺えりの ちょっとブレーク|山形新聞

渡辺えりの ちょっとブレーク

(41)進化する舞台に

2008/5/22 17:33

 演出を担当した「瞼(まぶた)の母」(東京・世田谷パブリックシアター)の初日が、5月10日に開いた。想像以上に大変な稽古(けいこ)だったので、初日が無事に開いて、しかもとても良い出来だったので、プロデューサーの北村明子さんと抱き合って泣いてしまった。

 長谷川伸のこの作品には思いのほかファンが多く、それぞれ思い描く忠太郎の姿があるようである。舞台なら島田正吾さん、中村勘三郎さん。そして大衆演劇。映画では萬屋錦之介さんである。私も映像に残っているのものはすべて見たが、所作や立ち回り、台詞(せりふ)の言い回しなど、対抗しようとしても無理である。今、現代の我々が、どうしたらリアルに作品の魂を具現化できるか? 私は相当に悩んだ。それは出演者もスタッフも同じだったろうと思う。

 プロデューサーの意向で、台本の書き直しは許されなかった。あくまでも台詞は原作に忠実に。今では全く使わなくなってしまった言葉も、あえてそのまま残した。そして全場上演である。一般的には、出だしの弟分の半次郎の家と、料理屋水熊の場面、そして最後の荒川の土手のシーンだけが上演されることが多い。今回の2008年「瞼の母」は長谷川伸が書いたままのバージョンである。資料を読み、辞書を片手に言葉の意味を探った。そして稽古の前半1週間は戯曲分析に費やしたのであった。

 主演の草なぎ剛さんは「SMAPを始めてから今が一番忙しい」と本人が言うほどで、稽古中も他の仕事をやりながらという超ハードなスケジュールであった。しかし、台詞を覚える、所作を覚える、立ち回りを覚える、そして肝心の演技の追求。普通だったら投げ出してしまうほどの内容を、よく最後まであきらめずに命がけで頑張ったと思う。剛さんだけではない。他のキャストもスタッフも本当に大変な中、必死に頑張ってくれた。

 すべてが現代劇のようにはいかなかった。時代劇でもコメディーならさまざまな工夫でシュールに誤魔化(ごまか)すこともできるが、今回は長谷川伸である。

 私は美術の装置をモノトーンにして、人物を浮き立たせたかった。そして場面ごとに季節の花を咲かせ、その花の色だけをカラーにしたかった。生きては死んでいく人の無情と家族の愛と、花の命とを掛け合わせたかっった。美術の金井勇一郎さんにそう伝えると、場面ごと墨絵のタッチの絵にしてくれた。それに小川幾雄さんの照明が当たると、まるで懐かしいモノクロームの映画のように美しい。音楽も今回は既成の曲を選曲することになっていたので、音響の井上正弘さんが随分苦労して探してくれた。繊細でダイナミックな音楽になったと思う。そして舞台監督の瀧原寿子さん。この業界では珍しい女性の舞台監督であるが、彼女は道具の出し入れなど、私の無理な注文にも一切無理だと言わなかった。演出の要望に応え、最後まで難解な転換に挑戦してくれたのである。

 新聞の劇評では、朝日新聞の山本健一さんは本当に私の演出意図を理解し、温かく勇気づけられる文章だった。「渡辺えりが、涼しい風姿の草なぎ剛を番場の忠太郎に迎え、長谷川伸の股旅(またたび)物を、痛ましいメルヘンとして再生した」「渡辺は、透明感のある場面転換で、全6場を1時間半、一気に運ぶ。いつもの切ない夢と現実の迷宮世界ではなく、原作に正対した」。特に役者たちが「それぞれ粒立ち」と演技者を褒めていて、本当に嬉(うれ)しい。大変だっただけに涙が零(こぼ)れた。しかし、読売新聞の劇評は酷評だった。「明るい草なぎには合わない。平成版の『瞼の母』を作るという熱意は伝わったが、共演者が力を入れ過ぎ、主張し過ぎた。泣ける芝居とは距離があった」といったことが書いてある。毎日客席の啜(すす)り泣きが聞こえているのに…と悔しい思いがしたのだった。それに、登場人物の一人一人が本当に今生きているように演じてほしいと言い続けたのは私である。それが批判されては、本当に悔しいのである。いろいろな感想があって構わないが、必死に頑張っている役者を悪く言われるとハラワタが煮えくり返るものである。

 さまざまな残酷な事件の絶えない現代。情の濃い芝居をつくっていきたい。

 毎日少しずついい意味で進化していく舞台になればと思っている。

(劇作家・女優、山形市出身)

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