(56)実現した夢の花笠~渡辺えりの ちょっとブレーク|山形新聞

渡辺えりの ちょっとブレーク

(56)実現した夢の花笠

2009/8/19 17:13

 7日、山形花笠まつりで踊ることができた。生まれて初めての出来事である。同級生たち、親戚(しんせき)たち、演劇クラブの仲間たち。高校時代のフォークグループのメンバーたち。そして私と一緒に踊りたいと申し込んでくださったファンの方たち。午後7時の出発から文翔館の終点まで、参加者全員で到着することができた。

 東京から参加してくれたウド鈴木さん、テツandトモ、電撃ネットワークの南部虎弾さん、ロケット団、そしてアナウンサーの武田祐子さんも、みんな真剣に最後まで踊ってくださった。みんなノーギャラで、山形市出身の方たちは実家に泊まって金銭面も協力してくれた。打ち上げ会場では芸人さんたちが愉快な芸を披露して、大いに盛り上がった。私も高校時代のバンド仲間と歌を2曲歌った。実家の両親は「自分たちは踊れないから」と、ビール大樽(おおだる)を二つも寄付してくれた。

 そして、入院中の叔父も外出許可が出て私たちの踊りを見ることができた。振り付けしてくれた遠藤美恵子さんといとこの会田美恵子ちゃんは泣いていた。「芸能人の方はみんな沿道に手を振ったりして踊りをごまかすのかと思ったら、みんな真剣に最後まで踊ってくれてびっくりした」と語った。山形出身者は本当に真面目(まじめ)である。

 打ち上げでテツandトモが「みんなにえりさーん、えりさーん、て声援されてるのに手も振らずに踊っているのなんでだろう」と歌って大いに受けていたが、私の去年の決意は踊ることであった。踊らずに手を振るくらいなら山車に乗っているのと同じである。とにかく踊って汗を流す、その時の今しか考えない。と決めていた。翌日の仕事も忘れ、「夢見る力でがんばっべ!」と決めていたのだった。

 踊り始めると雨が小雨になり、踊りきったら大雨になった。私は昔から晴れ女で、映画のロケが梅雨時でも雨に降られたことがない。だから7日の朝が大雨でも少しも心配していなかった。

 沿道に、小学校の時同級生だった中山ひろ子さんとご主人がいた。中山さんとは40年以上会っていない。家が近所でよく一緒に遊んだが、今連絡先が分からない。この記事を読んだら連絡していただきたい。何しろ必死で踊っていたので、声も掛けられなかったのだ。その少し先に同じ同級生の木村智子さんがいたが、踊っているので「中山さんがそこにいるよ」と言えないのがもどかしかった。

 1年前に夢見たことが実現した。山形の友人たちの力である。素敵(すてき)な友人たちが山形にいる。世知辛いと言われる現代に、お金のためではなくて愛と勇気で団結してくれた友人たちがたくさんいる。本当にありがとう。参加してくださった皆さま、本当にありがとう。そして、応援してくださった皆さま、本当にありがとう。

 ひとつだけ悔しいことがある。翌日私が生出演している情報番組で、この山形の花笠まつりで踊る私たちの映像が、全国に流れる予定だった。系列の地元のテレビ局も踊りをずっと撮影してくれて、取材も受けていた。ところがその当日、酒井法子容疑者が出頭した。番組がすべてその特集となり、花笠まつりの様子も放送できなかったのだ。友人たちはひどくがっかりし、私も落胆した。覚せい剤は本当に良くない。

 仕事で胸を打撲して痛み止めを打って踊ってくれたトモ君ありがとう。滋賀県出身なのに踊ってくれたテツさんも。東京出身なのに踊ってくれたロケット団の倉本剛さん、途中失神しそうになりながらも踊ってくれた58歳の南部さんも。最後まで礼儀正しく、どんな人にも嫌な顔をせずに明るく振る舞ってくれたウドさん、気を使っていろいろと仕切ってくれた武田さん、ありがとう。昨年私の呟(つぶや)いた「踊りたい」の一言から実現に向けて素早く行動してくれた五十嵐靖彦さん、細かく丁寧に進行してくれた中井由美子さん、菊地悦郎さん、ありがとう。

 名前をあげればきりのない永遠の友達たち、本当にありがとう。弟の嫁さん、甥(おい)と姪(めい)との連携プレーなど感謝したいエピソードは尽きない。七日町大通りに踊った黄色い法被、まるで夜に咲く大輪のヒマワリ200本のそれぞれの思いが炸裂(さくれつ)した祭りだった。

(劇作家・女優、山形市出身)

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