(57)夏が終わった~渡辺えりの ちょっとブレーク|山形新聞

渡辺えりの ちょっとブレーク

(57)夏が終わった

2009/9/28 17:12

 あっという間に夏が終わった。まさに「真夏の夜の夢」のような夏であった。山形で踊った「花笠」のおかげでますます山形を愛するようになったし、友達という存在のありがたさもあらためて知った。夏の暑さは、人間に子供に帰ったような良い意味での狂気を孕(はら)ませる。そして祭りは、自分が何を目的として生きているのか?という原点を見つめさせてくれる。ただ、無心に踊る。何も考えずとも生きている証拠である。

 8月17日と18日は東京・新宿の全労済ホールで「非戦を選ぶ演劇人の会」のリーディングがあった。入場料の千円はすべて「国際ボランティアセンター」と「パレスチナ里親の会」に寄付される。私たち演劇人の有志たちが手弁当でプロデュースし、台本を書き、演出する。出演の役者たちもみんなボランティアである。今回の構成・演出担当は私だった。

 台本は、現在のパレスチナ問題と日本の格差社会の中での貧困を結びつけたストーリーで、貧困が戦争に繋(つな)がっていく恐ろしさを、さまざまな人々の実際の証言を中心に描いた力作である。それを一日半のみの稽古(けいこ)で演出しなければならない。しかも第2部で招いたゲストに対するインタビューとコーディネートも任されてしまった。

 1日目のゲストは舞台美術家の朝倉摂さんと、9・11の時に崩壊した世界貿易センタービルの隣のビルに居合わせ、重い心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患いながらも立ち直り、ジャーナリストに転身した堤未果さん。朝倉さんには戦時下の演劇について語ってもらった。「女の一生」の本番中に空襲があった時「観客も出演者も死ぬ覚悟で、警報が鳴っても誰も避難しなかった」という話や「日本は負けてよかった。日本の軍国主義が続くよりは、アメリカに占領された方がましだった」といった興味深い話が聞けた。そして堤さんの話には、観客たちが泣きながら耳を傾けていた。この話は次回に詳しく書いてみたい。

 2日目は森光子さんと、「沈黙を破る」というドキュメント映画を撮影したジャーナリストの土井敏邦さんである。森さんは仕事の都合でビデオでの出演になってしまったが、平和が一番大事であること、若い人たちにこういう活動を通して頑張ってほしいといった内容の話をしていただけた。土井さんの話も次回に詳しく書きたいと思う。とにかく命懸けの取材を続ける、経験豊かな土井さんの話も面白く、また謙虚な姿勢に感銘を受けた。

 「花笠まつり」から「非戦の会」まで、ぶっ通しの徹夜続きでかなり痩(や)せた。しかし悲しいことに、自分の中では痩せているのに周りからは気づかれず「元気そうでいいわね?」なんて羨(うらや)ましがられる。などと、つまらない愚痴をこぼしながら夏は過ぎていった。

 9月になって、仕事で奈良、名古屋、そして北海道の網走と続けざまに全国を飛び回った。

 網走は9年ぶりだということが判明した。講演が終わって、主催者と出かけた寿司(すし)店に私のサイン入りの色紙が置いてあり、そこに日付が付いていたのである。隣は美輪明宏さんだった。帰りがけにお店のおかみさんに「ではまた9年後に」と挨拶(あいさつ)されてしまった。9年前といえば、主宰していた劇団3○○を解散した年である。あれから本当にいろんなことがあったなあ……と思う。

 翌日、美しいサロマ湖を馬車に乗って回った。オホーツク海を望む見事な花畑。天国のような眺めである(もちろん天国は見たことがないのだが)。馬は妊娠中の牝馬で気の毒だが、彼女にとってはずっと続けている仕事なのである。気の毒だといって客が誰も乗らなかったら、養ってもらえないかもしれないのである。新姫というその馬の腹には北海道と全く同じ形の白い模様がある。少しくびれたサロマ湖の形まであるのだ。来年の2月に赤ちゃんが生まれ、生まれたら、2匹仲良く並んで馬車を引くという。また来年も網走に行きたくなった。

(劇作家・女優、山形市出身)

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