(69)新旧混在の古里に~渡辺えりの ちょっとブレーク|山形新聞

渡辺えりの ちょっとブレーク

(69)新旧混在の古里に

2010/9/28 16:27

 8月のシベールアリーナ(山形市)での一人芝居「乙女の祈り」にはたくさんのお客さまにおいでいただき、本当にありがとうございました。両親も弟夫婦もいとこも同級生も恩師もみんな喜んでくれて、その笑顔が一番嬉(うれ)しかったです。かみのやま温泉で朝の5時までスタッフと飲んでしまいました。練り直してさらに面白くして、来年は米沢の方でも上演できればと思っています。

 9月17日は東京・杉並区の座・高円寺2でコンサートがあった。昨年から始めた「ルールコンサンート」の4回目である(ルールはフランス語で「重たい」という意味)。シャンソン、ミュージカル、ドイツ歌曲とジャンル別に回を重ね、今回はジャズ。ピアノ、ビブラホン、アルトサックス、テナーサックス、トランペット、トロンボーン、ベース、ドラムの8人編成の贅沢(ぜいたく)なバンドで歌わせてもらった。

 ゲストはミュージカルで活躍している北村岳子さんと高谷あゆみさん、そして小劇場の大先輩吉田日出子さん。1日2回公演のステージはおかげさまで大入りの大盛況であった。山形でも上演できるチャンスがあればと願っている。

 「シング・シング・シング」「テイク・ファイブ」などのジャズの名曲に私が歌詞を付けた。「サマータイム」「素晴らしき人生」「降っても晴れても」も日本語。「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」以外はすべて日本語で歌った。

 ピアノ演奏と編曲はまだ28歳の佐山こうたさん。友達の腕の良いミュージシャンを集めてくれた。ドラムの枝川淳一さんだけが58歳のベテランである。実は枝川さんは舞台芸術学院の1期後輩で、36年ぶりの共演なのである。

 私たちの卒業公演は、六本木の俳優座劇場で上演されたシェークスピアの「十二夜」。その時私たちはオリジナルの曲を作って生バンドで上演した。私が19歳の時だが、1期下に楽器の得意なメンバーがいるので出演を頼んだ。その時のドラムが枝川さんだった。もともとドラマーだった枝川さんが役者に転向した数年間のお付き合いである。その後は、都はるみさんのステージなどで大活躍している。いつか一緒にやろうと約束してから36年経(た)った。ほかのミュージシャンは誰もまだ生まれていない。不思議な感覚に襲われた。

 36年はあっという間だった。お互い少しも変わってないね。と言い合った。

 山形西高時代にフォークバンドのボーカルをやったころから40年、仕事を長く続けているといろいろなことがある。あきらめかけていた夢が叶(かな)うこともある。これからもコツコツと頑張っていこうと、あらためて思った。

 19日には、JAやまがた西部支店(山形市)で行われた西部果樹組合・西部野菜組合設立20周年記念式典に呼ばれ、講演した。23日から別の舞台の本番があり、非常に忙しかったのだが、私の故郷村木沢の方に依頼されたので断るわけにはいかなかった。

 私が生まれたのは母の実家の山王、父の実家は悪戸である。懐かしい顔が並んでいた。

 5歳まで一緒に遊んだ近所の実千代ちゃんに、これは50年ぶりに会った。子供のころから美人だったが、今も昔と同じ顔をしていてびっくりした。いつも母が送ってくれるサクランボを作っている長根の長右衛門さんもいた。母の弟の奥さんの徳子ちゃんも。

 村木沢のことは読売新聞の全国版の日曜版の「心の風景」に書き、26日に掲載された。

 霞ケ城の御殿医だった祖先の石碑がブドウ畑の中に立つ。天保12(1841)年に弟子の医師たちが建てたもので、霞ケ城が見える位置にわざわざ建てたという。

 古くて良いものが昔のままに残る古里を大切にしたい。便利なものと懐かしいものがうまく混在する場所を守り、そして快適に発展させていくことが必要だと思う。農家の魅力を若い人たちにどんどん知ってもらうことが大事だ。これからも時間を見つけて、なるべく故郷に帰ろうと思っている。

(劇作家・女優、山形市出身)

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