生まれて初めてイタリアに行ってきた。塩野七生さんの本などを読んでいて、昔から行きたいと思っていた国だったが、4年前に東京の新国立劇場で見た、ルイジ・ピランデルロ作の舞台「山の巨人たち」がとても面白く、イタリアへの思いが強まった。100年前の劇作家とは思えないほど、設定も会話もシュールで面白い。日本では「作者を探す6人の登場人物」という作品が有名で、ノーベル文学賞ももらった作家だが、実際に日本で上演された作品を見るのは初めてで、すっかり魅了されてしまった。
今回はそのピランデルロの生まれたシチリア島のアグリジェントに行くことを旅のひとつの目的にした。
新作執筆のため、高村光太郎、宮沢賢治の著作にどっぷりと漬かっていたこの1年で、2人に影響を与えたヨーロッパの文化を探りたいという欲求がますますわいてきたのも確かだった。
スペインのバルセロナにいる友人がイタリアに行くならぜひ立ち寄って、というのでまず、ドイツのフランクフルトで乗り換えてバルセロナに行った。フランクフルトでは3時間ほど待ち時間があったので、文豪ゲーテの生家を復元した「ゲーテハウス」に電車で向かったが、着いたころにはもう閉まっていた。外観だけ見て空港にUターンすることになってしまった。ゲーテハウス近くの劇場ではドイツ版のミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」が上演中だった。ことし1月、日本でも市村正親さんと鹿賀丈史さんのキャストで再演されたばかりである。日本では大きな劇場で上演されたが、フランクフルトでは小劇場でロングランされているようだった。
バルセロナでは友人宅に泊まり、ぜひまた見たいと思っていたサグラダ・ファミリアを訪れた。1882年に着工して以来、130年間造り続け、いまだに完成していない教会。建築家ガウディの設計は素晴らしく、すべてが自然界の動植物の形から発想を得ている。数年前には完成していなかった教会の中の礼拝堂が出来上がっていて驚いた。ローマ法王が来られるというので急(せ)いて工事を完了させたらしい。
巨大な内部は林をイメージしていた。中に入って私は宮沢賢治に見せたかったと思った。林をこよなく愛した賢治がここを見たらきっと感嘆の言葉を発し、泣いたかもしれないと思った。背の高いプラタナスのような柱が、途中で枝分かれして天井まで伸びている。枝分かれする部分に、顔のような丸いフシがありそこに一つ一つ違う模様が描かれている。何本も並ぶその柱は、手を広げた人間の列のようにも見える。まるで賢治の電信柱のようである。礼拝堂が森の中にあるようなイメージだ。高い天井に入り乱れ交差する、白い石で造られた枝は、人間の骨のようにも見える。それがとても美しい。しばらくその中にじっと座っていた。林を思うガウディの万国共通の心と向き合った。
教会の外観は糸杉をイメージした何本もの塔で構成されている。この形は、これから出かけるイタリアの教会のほとんどに共通していることが分かった。糸杉はキリスト教では天に向かって生きる人間の命の象徴なのだという。
日本の詩人八木重吉の作品に、私の好きな「空を指(さ)す梢(こずゑ)」という詩がある。「そらを指す/木はかなし/そがほそき/こずゑの傷(いた)さ」。読むたびに泣ける詩だと思っていたが、クリスチャンだった重吉がこの糸杉のことをも描いていたのだということが初めて分かった気がしたのだった。さて、紙面がつきて、肝心のイタリアは次回に書くことになってしまった。申し訳ありません。お楽しみに。
(劇作家・女優、山形市出身)