渡辺えりの ちょっとブレーク

(91)中井由美子さんを悼む(下) 最良の理解者

2012/9/1 16:16

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 東京で故中井由美子さん(舞台照明家、山形市)と2人で話すのは演劇の話が主で、話しても話しても話し足りない感じでした。もし劇団を旗揚げすることができたら、ワンコ(中井さん)に照明のプランをしてもらおうと思っていました。今では女性の照明家はたくさんいますが、当時は照明は男だけの世界で、ワンコは日本での先駆けでした。

 お互いに23歳の時にその夢が叶(かな)いました。

 劇団3〇〇の旗揚げ公演「モスラ」の照明をワンコにやってもらったのです。客席の真ん中にワンコは座り、大声で指示を出していました。彼女らしい陰影のある美しい色の照明でした。客席で時々ワンコは「ああ…」という辛(つら)そうな声をたてていました。彼女は臨月だったのです。初日まぢかで慌ただしい劇場の客席に大きなおなかのプランナー。世界でも珍しい光景だったと思います。

 その時の娘さんが今では30歳を過ぎ、献身的に看病してくれました。母を思うその姿は、さまざまなことに愛情を傾けながら最後まで責任を持とうとする母親ワンコの姿と重なりました。ワンコの背中を見て娘さんは育っていました。

 お互いに仕事で忙しくなっても、ワンコは劇団の公演を手伝ってくれ、山形に戻って子育てを始めてからも、山形公演のスタッフとして支えてくれ、コンサートの明かりも作ってくれました。そして「私が山形でのジュリ子のマネジャーになってやるよ」と公言し、講演、取材、報道番組などの山形での仕事を仕切ってくれました。

 時間に追い立てられるハードな仕事を、自分から悪役を演じてまでサポートしてくれました。サインを求めるファンを目の前で断ったり、友達との会話を中断して次の仕事に移動したりと、これはなかなかできることではありません。私の体を案じながら、滞りなく仕事を進めるためにやってくれるのです。これはお互いに信頼関係がなければ、お互いの性格を分かっていなければできないことです。絶対に人の悪口を言わず、無用な言いわけもしたことのないワンコという人間を信じていたからこそのコンビでした。

 17歳の時に2人で結成したフォークデュオ「やぎ座」の練習で毎日訪れたワンコの家。毎日遅くまでの練習は大変だったけれど愉快でした。いつもは低音で喋(しゃべ)る2人がわざと高音で歌いデュエットしていることがおかしかった。どの曲を誰がリードで歌い、どうコーラス部分の旋律を作っていくか? ゼロからの相談と工夫が本当に楽しかった。一瞬、自分か、ワンコか分からなくなってしまうような感覚。あまりに考えが似過ぎて、意識が重なっていくような瞬間が何度もありました。

 お互いに2人しか分からないことがたくさんあり、周りの人たちには説明できないようなところがたくさんありました。そんな不思議な関係を今まで続けてこられました。

 8月28日の午前4時半ごろから、日が昇るのと合わせるようにしてワンコはゆっくりと別な世界に旅立っていきました。

 山形のマネジャーらしく私の仕事をすべて知っていたかのように、具合が悪くなるたびに私が会えるようにしてくれて、亡くなる瞬間も傍(そば)にいさせてくれて、お通夜も告別式もすべて参加できるようにしてくれました。そして生まれて初めてこういう体験を私にさせてくれたのです。人の「死」とはどういうことなのか? この体験を私に生かしてくれとワンコが言っているのです。私の演劇の最高の理解者だったワンコが自身の命を血を流しながら私に突きつけてくれました。そして、それは私の臓物を引っ張り出すことでもありました。ワンコが亡くなることは私自身も失(な)くすことです。歌だけではなく人生もデュエットしていたといえるワンコと私のこれからをどうしたらよいのか考えています。

(劇作家・女優、山形市出身)

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