渡辺えりの ちょっとブレーク

(96)めでたく卒業

2013/3/30 16:05

 4年半出演し続けてきたテレビ番組「情報7days ニュースキャスター」を卒業した。こんなに長く続けるとは思っていなかった。

 前に徳光和夫さんの日曜の朝の番組に、2年間生出演したことがあった。その時は日曜の朝の番組だったので、午前3時ごろに起きなくてはならず、土曜日の昼夜公演の後、徹夜でテレビ局に行き、そのまま日曜日の昼公演をやるといったスケジュールだった。

 これではとても体が続かないと思い、2年で辞めさせていただいた。しかし、その時にスタッフや、出演されていたさまざまなジャンルのプロの方にうかがった政治の話などは、私の今の仕事の栄養になった。徳光さんにもゴルフに誘っていただいたり、プロ野球のチケットをいただいたり、そして、結婚式の司会をしていただくほどお世話になった。

 「ニュースキャスター」は土曜日の夜の本番なので、夜に強い自分は大丈夫だろうと高をくくっていた。しかし、実際にスタートしてみると、土曜日の昼夜2回公演の後、慌ただしくテレビ局に入り、深夜に帰宅後興奮して眠れないまま日曜日の昼公演に出かけるという、やはりハードなスケジュールだった。しかも、午後8時に局に入るためには、土曜日の夜公演の開演時間を午後5時にしないと間に合わない。

 土曜日に他局の2時間ドラマが放映される日以外は全く休まずに4年半が過ぎた。テレビは収録であろうと同じ人物が同じ時間に出演してはならないという決まりがあるため、土曜日に2時間ドラマの放映があると、それが収録でも「ニュースキャスター」はお休みになるのだった。

 3月23日の最後の日、美術スタッフが私の顔を小さなブロンズ像に見立てたような置物をくださった。毎週凝った作品を作っている凄(すご)いスタッフにいただけたのが嬉(うれ)しかった。ビートたけしさんには「この仕事が芝居の世界にきっと役立つと思う」という真面目なお言葉をいただいた。シャイで、少年のように純粋な瞳を持つ方である。

 三雲孝江さんは流石(さすが)ベテランで自然な気遣いのできる方である。斎藤孝先生はほめ上手でいつも私の舞台を見て「えりさんは天才だ!」と言ってくださる。安住紳一郎さんは23日の送別会で初めてゆっくり話すことができたが、意外に純朴で、頭の切れる素敵(すてき)な方だった。

 打ち合わせでいつも意見のぶつかるスタッフとも、もう喧嘩(けんか)もできなくなってしまうと思うと寂しい気がするが、演劇や映画とは全く異なる仕事なので、いつかは辞めなくてはならないと思っていた。たけしさんのおっしゃる通り、良い勉強になったと思う。

 お喋(しゃべ)り好きな私が、借りてきた猫みたいにおとなしくなっていて変だと思った方もおられたと思う。生番組では一言喋ってしまえば取り返しがつかない。喋る時は慎重になるし、言ってはならない規制が多い。話そうと思っても時間がなくなってしまうことや、一言が特定の方を大いに傷つけてしまうことも多い。自分の得意ではない分野に関して何か言うこともはばかられる。毎回、緊張の連続であった。だんだん家族的な雰囲気になり、スタッフの温かな声援に励まされることが多かった。

 4月4日初日の舞台「根っこ」は赤坂レッドシアター(東京)で約1カ月の本番だが、私が山形で母親を責め立てた言葉そっくりの台詞(せりふ)が出てくる作品だ。そして舞台では私が母親役で、娘役に責め立てられることになる。1959(昭和34)年にイギリスで上演された作品が、今の日本の、都市と農村の格差の問題とダブってくる。あんなに母ちゃんを責めるんじゃなかった…。後悔先に立たず、である。

 戦前から戦後へと、自分たちは我慢を強いられ、日本が豊かになっても少しも贅沢(ぜいたく)をせず、質素に節約しながら子供たちを育て、日本を育ててくれた両親たちの世代に感謝したい。そして、今の日本はこれで良いのか?と、再考し、二度と愚かな歴史を繰り返さないよう未来を見据えたいものだ。

(劇作家・女優、山形市出身)

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