(102)コンサートの喜び~渡辺えりの ちょっとブレーク|山形新聞

渡辺えりの ちょっとブレーク

(102)コンサートの喜び

2013/9/30 15:26

 新作戯曲「あかい壁の家」の旅公演が終わったのが9月3日。翌日から仕事で実は1日も休んでいない。働きづめの毎日なのだ。今回は音楽劇で出演者も30人を超えるため、予算がかなりかかる。特に岩手県久慈市での公演は赤字覚悟であった。生まれてから一度も生の演劇を見たことのないお客さまのために頑張りたいと決意した。舞台の赤字は、申し訳ないが他の仕事で埋めさせていただく他はない。

 とにかく働こうと、これも決意したのだ。

 そして2日だけあった休みを新宿のシャンソニエでのコンサートにあてた。2時間ドラマの撮影中に風邪がひどくなった時に、何で休みにしなかったのだろう?と幾度も後悔してしまったが、新しい歌を覚え、時間を見つけてリハーサルし、本番を迎えると、苦しくてもやって良かったと思う。お客さまの真剣な眼差(まなざ)しと笑顔が本当に嬉(うれ)しいのだ。

 なぜこれほど無理してもシャンソンのコンサートの依頼を受けたのか? それは子供の頃から歌が好きで、中学では合唱クラブに入り、高校では音楽クラブの合宿に参加した私がもう58歳だということである。

 美輪明宏さんの歌うシャンソンにあこがれ、20歳の頃から美輪さんの舞台のスタッフとして参加していた。その頃に大人になったらぜひ歌いたいと思っていた数々の歌を今歌わなければ、もう歌えなくなってしまうのではないか?と不安になったということもある。大人になったらと思っているうちに、十二分に大人になっていたのである。そして私は愚かにもそのことに気が付いていなかった。時間はまだまだあると誤解していた。

 NHK連続テレビ小説「おしん」のDVD発売の特典のページのため、プロデューサーの小林由紀子さんとの対談があった。あれからちょうど30年。当時、私は28歳、由紀子さんは43歳だった。この30年があっと言う間だったのだ。

 「おしん」放映の翌年、池袋のサンシャイン劇場で初めてコンサートを開いた。その時のゲストが柄本明さんと四谷シモンさんと、おしんの夫役だった並樹史朗さんだったのだ。そのコンサートに美輪明宏さんがいらして「ブラボー」と客席から声をかけてくださった。一生忘れられない思い出である。その時に美輪さんが訳詞された「ボンボワヤージュ」を歌った。いつか「ミロール」や「群衆」「愛する権利」などを歌いたいと願っていた。その時の思いを叶(かな)えたい、元気のあるうちに。

 由紀子さんに依頼されなければ、出演していたかどうか分からない。「おしん」の後、久世光彦さんに誘われて「学問のススメ」に中学生役で出演した。そしてそのドラマを見ていた宮藤官九郎さんが私を「あまちゃん」に出演させた。新人だと思っていた自分がいつの間にか、ベテラン陣の一人になってしまっていた。

 由紀子さんと「おしん」の思い出話に花を咲かせながら、人生の不思議を思った。

 中村勘三郎さんと出会ったのもNHKのドラマ「ばら色の人生」で、そこで出会わなかったら、また私の人生も変わっていたはずである。ひとつひとつの仕事が命懸けであるからこそ、人生も変わってくる。永遠なものはないからこそ、永遠をとどめようと、命を削って、みんな絵画や彫刻や歌を作る。演劇も。

 1回しか聴けない歌、1回しか歌えない歌をとにかく懸命に歌ったライブがお客さまに喜ばれて本当に良かった。今度、故郷山形でも聴いていただきたいと思っている。

(劇作家・女優、山形市出身)

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