渡辺えりの ちょっとブレーク

(120)還暦コンサート(上)

2015/4/29 13:02

 子供の頃は60歳と聞くともう人間を超えた存在のように思えていた。祖母が40代だったので「お婆(ばあ)さん」以上のイメージだ。ところが自分がその歳になってみると、まるで今までと少しも変わらない。子供がいないせいもあって「お婆さん」の自覚もない。「なぜ徹夜ができないんだろう?」「なぜお酒を飲んだ翌日がこんなにも辛(つら)いのだろう?」と首をひねるばかりである。

 しかし、親友たちが還暦を迎えることなく逝ってしまい、胸が締め付けられるように日々を暮らしていると、自分が還暦まで生きられたことを感謝しなくてはいけないという気持ちもまた強くなってきた。どんなに辛いことがあっても親友たちの分も生きなくてはならない。親友たちに生かされているのだと思うようになった。

 思うように行かない現実があっても後ろ向きに生きるのは止めよう。諦めずにコツコツと努力する。これが親友たちの残してくれた遺言だと思うことにした。高校の演劇クラブからの親友の「ワンコ」も中村勘三郎さんも、三津五郎さんも、みんな人が喜ぶ顔を見るのが大好きで人に優しく自分に厳しい方たちだった。昨年の暮れにもショックな出来事があった。可愛(かわい)がっていた若手の女優が25歳で亡くなってしまったのだ。彼女もよく気が付き、相手に優しい人柄だった。山形の温泉にも一緒に入り、被災地のボランティアも一緒にやった仲間だった。

 私という60歳の体にはそんな優しい友人たちの細胞も育っていると思いたい。

 「還暦コンサート」はそんなさまざまな思いを込めたコンサートである。

 5月31日は「東京キネマ倶楽部」というJR鶯谷駅から徒歩1分のライブハウス。6月1日は花巻市文化会館。そして最後に6月2日が山形市民会館である。市民会館は劇団3○○(さんじゅうまる)の山形公演を初めて上演した舞台である。当時の館長だった横山良介さんと阿部秀而さんのご尽力で実現した公演だった。故郷山形の皆さんに感謝の気持ちを歌に託して贈りたいと願う。花巻は宮沢賢治の出身地であり、高村光太郎が晩年を過ごした場所。昨年、宮沢賢治の半生をテーマに作った音楽劇「天使猫」を全国で上演しており、高村の研究をライフワークにしていた父が生きているうちに実現したいと思った。そして東京キネマ倶楽部はなんと宮沢賢治が毎日通った場所だった。

 賢治は国柱会という日蓮宗の宗教団体に所属していてそこで上演される演劇の舞台に強い影響を受けたと言われている。その本部のあった建物の後に建ったのが東京キネマ倶楽部であった。賢治の研究家に「賢治ゆかりの場所を選んだんですね?」と問われた時、その偶然に鳥肌が立った。

 賢治の親友、保阪嘉内の息子さんに話を聞こうと、賢治の研究をしている加倉井厚夫さんに案内していただき山梨県の韮崎に行った。その時、爆撃で亡くなった父の親友のお墓も韮崎の近くにあると分かり、父が歩けるうちにお墓参りに行く約束をした。そしてそれが先日実現したのである。

(劇作家・女優、山形市出身)

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