渡辺えりの ちょっとブレーク

(137)台風被害の久慈へ

2016/9/30 12:41

 今月18日、岩手県久慈市に慰問に行きました。「狸御殿」を見に来てくれた「のんちゃん」と尾上松也さんが出演していた劇団新派の舞台を一緒に見に行く約束をした時に、「台風の被害が大きい久慈にボランティアに行きたいね」と話していたのです。のんちゃんが久慈市から秋祭りに招待されているという話を聞き、それならその祭りの初日に私も手伝いに行こうと仕事のNGを出していたのでした。21日から25日まで渡辺流演劇塾の公演「深夜特急」を荻窪小劇場で上演するので演出の補佐をする仕事もありましたが、その日は演出を依頼している元劇団員に任せることにしました。

 「あまちゃん」のロケでお世話になった商店街のお店のほとんどが浸水して大変な状況なことは電話で伺っていました。久慈市内では亡くなった方はいないとのことでしたが、早く皆さんとお会いしたいと願っていたのです。

 そんな中、祭りの中止の知らせが届きました。毎年見事な山車を競い合う年に一度のお祭りの中止。その日のために準備を重ね、練習を積んできた子供たちの気持ちを考えると胸が痛みます。のんちゃんに連絡すると、中止になっても行くとのこと。私も、もともとお祭りとは関係なく手伝いたいと願っていたので、二戸から久慈市の出してくださる車に便乗することにしました。台風の被害で交通手段が絶たれていたいたので、どうやって行けば良いか?と悩んでいたのです。前日にはがけ崩れで遮断された道路も開通したという情報もいただきました。ロケでお世話になった旧山形村出身の当時の市の広報課の方も山形村から出られず、迎えにも来られないとおっしゃっていたのでした。

 思いがけず市長さんにおいしい海鮮丼をごちそうになり、「あまちゃん」の話で盛り上がりました。のんちゃんと残念ながら練り歩くことのできない山車を見学し、その上で法被姿の皆さまにあいさつさせていだきました。1年かけて作り上げた見事なデザインの山車と祭り囃子(ばやし)。子供からお年寄りまで皆さんに集まっていただき、言葉もありませんでした。「よく来てくれた」と私の手を握って泣いてしまった方もおられました。2年前、雷で中止になった山形花笠まつりを思い出しました。あの時は皆で号泣したっけな。

 「あまちゃん」のロケの合間に喫茶「モカ」でよく卵サンドを食べました。そう、その店の卵サンドをはやらせたのは、この私なんです。道の駅の中国人の整体師の奥さんに評判を聞いた「モカ」の卵サンドをブログで紹介し、みんなにも宣伝したのが始まりでした。郷土料理「ひさご」のひっつみ鍋も。喫茶「つたや」のブルーマウンテンも。浸水した「モカ」は17日から、木野花さんとよく行った「ラーメン千草」は18日から再開。「ひさご」は電化製品をすべて流され、再開までにはまだまだ時間がかかるということです。

 駅の反対側は最も被害が大きく、瓦礫(がれき)の山でした。放送の後に建ったという2階建ての「あまちゃんハウス」。撮影で使った看板や小道具、衣装などを展示していた「あまちゃん」の記念館も浸水によりほとんどが壊れ流されてしまったということで再建に時間がかかるようでした。私と荒川良々さんのパネルがなぜか並んで残っており、つい笑ってしまいました。ボランティアが泥を必死で拭き取ってくださったということです。全国からボランティアが集まり、瓦礫撤去などを手伝ってくださったそうです。

 「モカ」には全国から「あまちゃん」ファンが駆け付けていました。台湾から3組。大阪、青森、宮城と、地元の方よりも他県と他国の方が多かったです。

 駅前で開かれたセレモニーにも多くの方が全国から集まり声援を送ってくださっていました。ロケでお世話になった方が皆さま無事でほっとしましたが、ロケの合間に慰問に行っていた震災で避難所におられた方々の多かった田野畑村近くの岩泉町で亡くなった方が19人。時間がなく、手伝いには行けませんでしたが、皆さまが早く安心して生活できるよう応援していきたいと考えています。

 久慈の街には今でも「あまちゃん」の音楽が流れ、のんちゃんを帰郷した家族のように迎えていました。私も「弥生さん!」と皆さんに声をかけられました。あのドラマの登場人物たちは今でも久慈で生きていて、東京の私たちとは別の暮らしをしていたのです。

 のんちゃんは町のシャッターに得意の絵を描いていました。来月また続きを描きに久慈に帰ると言っていました。

 ミュージカルで痩せてしまった私に久慈の方たちが「きれいになった、きれいになった」と声をかけてくださり、何だか良い気持ちになってしまいました。

(劇作家・女優、山形市出身)

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