渡辺えりの ちょっとブレーク

(145)“パリの花”ぜひ父に

2017/5/31 12:26

 父は戦時中から高村光太郎に心酔していて、毎年の年賀状には必ず光太郎の詩の一編を印刷していたほどだった。光太郎に心酔した理由はこのコーナーにも幾度か書かせていただいたが、少年時代にゼロ戦のエンジンを作っていた苦しい戦争体験からのことであった。

 光太郎はフランスのパリに留学した経験があり、そこで東洋人としてのコンプレックスと闘い、絶望の中でロダンの彫刻と出会う。父が出張の度に上野の美術館からロダンの「考える人」の写真をお土産に買ってきてくれたのも、光太郎の影響だった。

 私は子供の頃、光太郎の思いの中の芸術作品に囲まれて育った。父が光太郎が留学したパリの下宿を訪ねるツアーに参加したのは、私が30代の頃だった。コマーシャルの仕事が初めて入り、そのギャラを両親に渡した。その額は2年間の演劇専門学校にかかった学費とほぼ同額であった。演劇を学ぶ費用は、反対していた両親が必死で働き仕送りしてくれたのだった。心苦しく思っていたので、いつか返さなくてはと思いながら頑張っていたのだ。

 母は、飛行機に乗るのが嫌だ。もしものことがあったら家に誰もいなくなるとの理由で、行ってくれなかったが、父と弟がパリに出掛けた。父は大いに喜んで豊かな写真をたくさん撮ってきた。そして、いつか「ライラック」を庭に植えたいと言った。

 パリの街路樹ライラックの紫や白の美しさに感激したという。光太郎も見とれたに違いないライラックの木を山形の庭に植えるのだと。あれから30年以上たって、父も91となった。誕生日の6月7日までに何とか植えられないだろうか?と友人に相談し、河北町の植木屋さんが村木沢のオフィス3○○山形支部の庭に、薬師町の植木市から買ったライラックを植えてくれた。

 父もとても喜んでくれて、弟が喜ぶ父の写真を送ってくれた。来年は白、薄紫、紫と3色の花が咲くはず。ぜひ来年も父に満開のライラックを見てもらいたい。村木沢で今後コンサートなどのいろいろな催しを計画していて、近所の方たちと相談中である。9月の南陽市でのコンサートもチケット販売開始。そしてその前に、8月の花笠まつりに2年ぶりに参加する予定でいる。また山形の皆さまとお会いできる機会が増えそうである。高齢の両親に会うために毎月帰郷しているこの頃。そろそろさくらんぼが夢に出てくる季節。

(劇作家・女優、山形市出身)

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