渡辺えりの ちょっとブレーク

(147)山形とキルギス

2017/7/31 12:24

 「こんなところに日本人」というテレビ番組でキルギスに行ってきた。行くまではどんな国か分からず、イスラム教徒が中心の国というので、テロなどが多い危険な国かと不安だったが、実際は私が生まれたころの山形村木沢にそっくりの本当に愛すべき国だった。

 家から24時間かかってビシュケクという首都に着きディレクターに「ジェルゲス」という紙に書いた場所の名前を渡される。ヒントは日本人が住むこの名前だけ。東京の千代田区のような街でその名前を聞いても誰も分からない。

 劇場も大きく、レーニンの像がそびえる旧ソ連風の街ビシュケクでくじけそうになった。名前も暗号のようで覚えづらい。そこで「美酒食ぇ食う」と覚えた。山形弁の「けえ、くう」である。これですぐに覚えられた。山形に生まれて良かった。大きな市場で「『ジェルゲス』を知りませんか!」と叫んだが誰も知らない。しかしここで気が付いた。東京駅で「村木沢を知りませんか!」と叫ぶようなものなのだ。

 あきらめてはいけない。ようやく知っている乾物屋の女将が見つかり、デコボコ道をバスで揺られ現地に着いた。痩せる器具に乗っているような顎(あご)が外れるくらいの振動。山交バスに揺られた昔を思い出した。ギューギュー詰めの車内で当然のように席を譲り、膝に子供を抱えたまま5時間も乗る主婦。懐かしくて何度も泣きそうになった。かつて私の母もこうだった。村人たちが肩寄せ合って笑いが絶えず、子供たちの笑顔に溢(あふ)れていた村木沢…。

 キルギスの田舎ジェルゲスはちょうどラマダン明けのお祭りで、訪れる家のそれぞれが料理でもてなし、独特のパンを差し出す。お客は一口必ず食べなくてはならない。女性は人前でお酒を飲むことはできず、料理も最後に口にする。昔の山形もそうだった。お嫁さんが沢で羽釜を洗いながら、へりに付いたご飯をキュウリ漬けで食べていたのを思い出す。

 しかし、ジェルゲスでは皆農業に誇りを持ち、大学の同級生同士で結婚して家を継いでいる人がほとんどだった。本家には皆が集まる広間があり、豊かな者は貧しい者を支える協力体制が整っていた。そしてとにかく子供が多くにぎやか。道には牛、馬、山羊(やぎ)、羊が普通に歩き、家族のような目をしているが、子羊も朝には殺されて料理の一部になる。イスラム教徒が多いので豚は全く見かけない。

 元々は遊牧民なので、いまだにボズイというテントに住む人たちもいる。みんな日本人とそっくりの顔をしていて情が濃い。蒙古(もうこ)斑を持つ、日本人と祖先が同じ民族といわれる。

 そんな村に住む日本人は順子さんという34歳の美しい女性で、現金収入のない村の主婦たちにフェルトの手芸のオリジナル製品を作って世界に売り出す指導をしている方だった。村の女性たちはみんな器用で、飼っている羊の毛を紡いで、かわいいポーチやマフラー人形などを作っていた。みんな山形の親戚と顔が似ていて懐かしい。

 順子さんがホームステイしている家族の末の娘さんが昨年交通事故で亡くなった。順子さんとうり二つの賢いお嬢さんだったそうだ。家族は悲しみのため、2年間は歌を歌わないという。順子さんの悲しみ苦しみ、家族の愛が痛いほど分かった。

 もう二度と帰れない昭和30年代の村木沢がジェルゲスだった。

 そんな村木沢で8月6日に行うミニライブ。山崎ハコさんはご主人が急病のため参加できなくなりました。親友中井由美子さんにジャズの指導をしていた小野美恵さんが代わりに参加してくださいます。ハコさんは「本当に申し訳ない。来年はお世話になった村木沢のために頑張ります」とのこと。限定80席はおかげさまで完売しました。

(女優・劇作家、山形市出身)

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