渡辺えりの ちょっとブレーク

(150)50年の夢

2017/10/31 12:22

 10月7日に山形県民会館で沢田研二さんの50周年記念コンサートを聴いた。山形でジュリーのコンサートに行くのは子供の頃からの夢だった。中学の時に県営体育館で「タイガース」のコンサートがあった時は学校で入場を禁止されたのである。行ったら停学処分になるような時代なのだった。髪の長い男は不良だと言われ、タイガースは紅白歌合戦にも出場できなかった。体育の授業に創作ダンスの時間があった時代で、私が振り付けして好評だった踊りがタイガースの曲を使ったという理由で優勝できなかった時代であった。

 ジュリーのファンになって50年。そうあれから50年、初めて山形で見られて聴けるのだ。毎月老人ホームにいる両親に会うのだが、今月はジュリーのコンサートに合わせた。9月に両親に会いに行った時に大沼デパートでチケットを買っておいたのだ。良い席は全部売り切れだったのだが見やすい席が1枚だけ残っていた。八文字屋にも十字屋にも良い席はすでになかった。

 そういえば十字屋が来年閉店と聞いた。あまりに残念だ。私のコンサートは山形駅前の十字屋が一番売れた。あのパーラーに高校時代からお世話になっているし、コナコーヒーというハワイのコーヒーも唯一置いてある。そして私たち年配の者が買いたい洋服がたくさん置いてある。店員さんも親切だ。母へのプレゼントにおそろいで買った洋服も十字屋だったのになあ…。

 とにかく今回思いっきり「ジュリー!」と叫べて本当に幸せな夜だった。50周年だからと50曲歌ってくれたジュリー。デビュー曲からシングル盤に入っている曲を1番だけだが歌いっぱなしの3時間だった。

 69歳でこんなに元気。「よし、私も明日からくじけずに頑張ろう!」と勇気をもらった。そして小学6年からずっと影響を受け続けた沢田さんの魂を再確認できたコンサートだった。この人はやはり間違いはないと。精神の豊かさ、純粋さ、真面目さ、真剣さ。アーティストとしてぶれない魂の輝きを感じることができた。

 山形の好物のお菓子と漬物を差し入れに持って行き「生きる勇気を得られました」と伝えることができた。そして、私が40周年記念コンサートで歌わせていただいた沢田さん作詞作曲の歌のお礼も伝えることができた。山形で子供の頃から会いたいと願っていたジュリーとこうして山形で会えるということは本当に幸せだと感じる。あの日からジュリーの歌が頭から離れず、昔の自分に戻った感じがする。

 24日と25日は「タンゴのすべて」というコンサートに豪華メンバーと出演し、私はアストル・ピアソラの「チェ・タンゴ・チェ」と「ロコへのバラード」を歌った。アルゼンチンの大使も褒めてくださったタンゴもジュリーと出会わなかったら歌っていなかったかもしれない。演劇も音楽もジュリーの影響がなくては始められなかった気がしている。

(女優・劇作家、山形市出身)

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