渡辺えりの ちょっとブレーク

(152)感謝と感動の一年

2017/12/25 12:14

 今年のうちに来年6月に本多劇場で上演する新作の戯曲を書かなくてはならないのに、20日のライブの練習と仕事が重なりなかなか進まない。山形の県民会館で10月に沢田研二50周年コンサートを聴いて興奮し、年内最後に沢田研二さんの歌を歌いたい衝動に駆られたためである。「そのキスが欲しい」。この歌の歌詞がずっと耳から離れず、この歌をタンゴ風にアレンジして歌うことを思いついた。

 年内最後の忘年会も兼ねて行うライブの題名は「冬祭り!情熱のタンゴ」というもので、先日の「タンゴのすべて」での私の歌が好評だったためにミュージシャンと「またタンゴをぜひ」と約束し合って決めた内容だった。そして、若く才能のあるミュージシャンたちにタンゴの新曲を作ってもらうことを思い立ち、私が作詞をして3曲が出来上がった。

 バンドネオンの川波幸恵さんには「炎の記憶」という、東北の震災をテーマにした歌。バイオリンの会田桃子さんには私の今の心境を独白したような歌「光あれ・ある人生へのバラード」。そして私のファーストアルバムの編曲をしてもらったピアニストの三枝伸太郎さんには「満月の夜」という事故で植物人間になってしまいベッドに横たわっている恋人に向かって歌う曲を作っていただいた。

 全てが素晴らしく、全く作風が違う曲。泣けるような歌なのだが、歌うのは難しい。覚えるのが本当に大変で、音大に入っていれば良かったと後悔するほどの曲なのである。徹夜で覚えながら「何でライブをやろうと決めたんだろう」と自分を呪(のろ)う日々なのだ。ジュリーの歌もタンゴ風アレンジで4曲歌う。

 山形に住んでいた小学校の頃からいろいろと計画ばかり立てて、立てすぎた計画に押しつぶされ、全てが中途半端になり後悔ばかりしていたのを思い出す。1カ月も続かない新年からの日記、編みかけのマフラー、書きかけの小説などなど。きちんと最後までやるようになったのは上京して芝居を始めてからだと思う。劇団員や、お客さまに対しての責任感からであったと思う。泣きながらでも這(は)いずり回ってもやり遂げるように頑張ってきたと思う。

 しかし、もうこんなに自分を追い詰めて、テンションを上げて同時にいろいろなことをやるのは来年からはやめにしたい。家の中の掃除や後片付けもできずに、まるで物置に住んでいるような状況は改め、落ち着いてひとつひとつじっくりと仕事をしていきたいと願っている。

 来年の1月5日で63歳。劇団を旗揚げしたのが23歳なので、あっという間の40年である。2月には20年前に書いた「深夜特急」という作品を元劇団員の大森寿美男に演出してもらう。彼は2019年の100本目の朝ドラを書くことになっている脚本家で「精霊の守り人」や大河ドラマも手掛けている。映画も数本監督している同じ釜の飯を食った仲間なのだ。

 6月は私の新作で40周年記念公演を計画している。今年は月に1度は山形に帰り、両親や友人たちと会うことができ、コンサートもできて、故郷にお礼ができて感謝と感動の一年だった。皆さまどうぞ良いお年をお迎えください。私も年末年始は故郷で過ごし、新作を書きあげたいと願っています。

(女優・劇作家、山形市出身)

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