渡辺えりの ちょっとブレーク

(161)異国にて山形を思う

2018/9/27 21:58

 今年になって、仕事で海外に行くことが多くなった。新作「肉の海」の上演が終わってすぐに、「フィジー」に行くことになった。「世界の村で発見! こんなところに日本人」というテレビ番組での日本人探しだが、せっかくリゾート地に出掛けても日本人を探すという仕事なので、ゆっくりすることも遊ぶこともできない。元々山形生まれの真面目な性格のため、その国の歴史を調べたり、現地に住む日本人の異国での苦労を思ったりしたいのだ。

 貧富の差が激しく、チョコレート原料のカカオを栽培していても、そのチョコレートを食べたことのない子供たちが大勢いる。トタン屋根の家に大家族で住む人々も多い。暖かく、その日の糧を作り食べて暮らしていた現地の人々に、日本人のように朝から晩までコツコツ働く習慣はない。家族の中で稼ぎのある人が、全員を養い暮らすような風習があるのだという。

 人懐こく優しい人たち。この国もまた、昭和の山形のような人の良い国であった。イギリスの植民地になった頃にインド人が大勢イギリスから移民させられて、この国を繁栄させたということだ。働き者のインド人たちがフィジーのリーダーとなっている印象を持った。

 この国に住む半数近くがインド人で、料理もインド料理が多い。カレーのおいしい国となっている。元々のフィジーの主食はタロイモとキャッサバという芋で、これらも懐かしい昭和の無添加の味であった。

 野菜中心の落ち着く味だが、残念ながらホテルやレストランでは食べることができず、現地に住むフィジーの家族がご馳走(ちそう)して下さった。日本人たちも懸命に働き、家賃3万円くらいの住宅を探し、子育てしながら必死に生活していた。新潟出身のご主人と名古屋出身の奥さま。力強く勤勉な奥さまがご主人の夢を支えていた。明るく大人っぽい32歳の女性を応援したい。

 近くに日本人の語学留学のための学校があり、老若男女が大勢通っていた。フィジーは公用語が英語なので、美しい海や風景を見ながら英語が勉強できると大人気なのだそうだ。

 ホームステイをしながらの留学で、若者から60代のシニアまでさまざまな年代の方たちとしょっちゅう会うことができた。沖縄、秋田、広島と全国津々浦々から集まっている若者たちと話すことができた。「この辺りで殺人事件が起きたんですか?」と冗談を言う若者までいて大笑いした。探し当てた日本人夫婦も、この学校で知り合って恋に落ちたのだった。

 次に出掛けたのがスペインのサンセバスチャン。村木沢のコンサート当日に車で東京に戻り、そのまま成田からスペインに飛んだ。このために、楽しみにしていた山形花笠まつりに参加できなかったのだ。しかもトランクが現地に届かず、下着やTシャツなどを四苦八苦しながら現地で買うことになり、コンタクトレンズもなくて初めて眼鏡で出演ということになった。

 フィジーでも最後の日に眼鏡で出演したが、これは目薬と間違えてうがい薬を目に差してしまい、充血したためだった。近眼と老眼でつい間違えてしまった。若い頃にはなかったミスである。

 スペインでもバスク地方に初めて行くことになったが、食べ物がおいしくて、住む人たちも素朴で親切。またまた山形と似ていると感じた。外国に行くと必ず山形と比較してしまう私である。

 昔から行ってみたかった「ゲルニカ」に仕事が終わってから出掛けた。資料館を案内してくれた青年はゲルニカ生まれで、子供の頃に広島平和記念資料館を見て反戦の思いに駆られ、広島で被爆したイチョウの枝をゲルニカに植樹した青年だった。もう20回も日本とゲルニカを往復し、交流を続けている25歳である。

 先日、日本で会うことができたので、山形の地酒セットを届けた。ゲルニカに持って帰って飲んでもらい、おいしかった銘柄をまた送る約束をした。頼もしい若者たちがたくさんいる。サンセバスチャンで偶然、東北芸術工科大の学長ともお会いした。山形で会う約束をした。

(女優・劇作家、山形市出身)

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