渡辺えりの ちょっとブレーク

(171)ふるさと公演、愛情に触れ

2019/8/31 21:38

 やまぎんホール(山形市、県民会館)でのオフィス3〇〇(さんじゅうまる)公演「私の恋人」はおかげさまで大入りの売り切れとなりました。私の友人、知人、親戚、幼馴染(なじみ)たちももちろん、他県からも大勢いらしていただき、会場の熱気にこちらも興奮しました。ホール全体が家族のような温かさ。久しぶりに故郷の皆さまの愛情を感じることができました。

 出演者の小日向文世さんとのんちゃんに「山形の人は心は良いんだけど感情表現が苦手だからシーンと静まり返るかもしれないが、感動していないわけではないからね」と私が開演前に解説していたのだが、幕が開くと、今までのどの地方よりもどかんどかんと受け続け早替えのシーンの時など、「ほー」とか「はー」とかのため息も聞こえる。天使役の出演者は「山形の人はえりさんの芝居に慣れてるんだねえ。すべて理解しているような反応だなあ」とひどく驚いていました。

 私が演劇の道に進む方向を示してくれた山形県民会館。それが今年の11月で閉鎖されてしまうのは大いに寂しい。客席も近く、生の声も遠くまでしっかり聞こえるように設計されている。奇跡の劇場とも言える。私の新作をこの劇場でやれて本当に良かった。ここでの初舞台、山形西高演劇部での「青い鳥」で共演した仲間たちも来てくれて泣いている人もいた。一緒に芝居を作った照明家の仲間で8年前に癌(がん)でなくなってしまった中井由美子さんが照明をつり込んでいるような気がしてならなかった。

 終演後、下の講堂で芋煮会の交流会を開き、みんなで花笠を踊った。小日向さんとのんちゃん、天使役の人たちも舌鼓を打った。恩師たちと父親、弟、いとこ、幼馴染がみんな揃(そろ)ってくれての楽しい会だった。そして西高3年6組の同級会。5年おきにやるこの会を私の公演に合わせてくれたのだ。中井さんの命日は8月28日。「私の恋人」の東京公演の初日だ。亡くなった年の25日は病院に駆けつけていた日だったとみんなで思い出していた。28日に私が看取(みと)ることができた。阿部みどりちゃんが号泣した。みんな次に集まるのは70歳の年。山形新聞記者の鈴木悟さんのお母さんと2人で10年後、75歳の会の幹事をやることになりました。

 その後は同級生の焼き鳥屋さん「前田村」で山形の打ち上げ。たまたま市民会館でコンサートをしていたアコーディオン奏者のcobaさんも駆けつけてくれて、大いに盛り上がりました。制作の手違いで、終演後に小学校の恩師92歳の太田康夫先生とアートスタジオの新宮登先生にお会いできなかったのが残念でした。山形の皆さん本当にありがとうございました。お疲れさまでした。

(女優・劇作家、山形市出身)

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