渡辺えりの ちょっとブレーク

(172)人にやさしく、自分に厳しく

2019/9/30 21:37

 新作「私の恋人」もお陰(かげ)さまで大盛況のうちに幕が下り、ぽっかりと胸に穴があいたような日々である。松竹の「三婆」の稽古、地方公演から始まり、オフィス3〇〇新作の「私の恋人」の執筆、稽古、本番が終わるまで、一日の休みもなく今日に至っている。何度もくじけそうになったが、山形から東京に行こうと決意したあの時の情熱を思い出して、乗り切ることができた気がする。

 でも、芝居作りは1人ではできない。多くのスタッフ、キャストの力を得なければ本番にはこぎつけない。そうでなくてもシュールな私の芝居作りには、私の発想をどう具現化するのか? その大変さを楽しむゆとりがないと進んでいかないのだ。今回のスタッフたちは、大変な中、大笑いしながら、稽古も本番も楽しそうに頑張ってくれたことが何より幸せだった。役者たちも熱心で、舞台袖での張り詰めた緊張感が心地よい。早替えが多く、ひとつ手順が狂えば最後まで計算があわなくなるという恐ろしいほどの緊張感の中での進行である。初舞台ののんちゃんもその緊張感を楽しんでいる。同じ楽屋の劇場が多かったのでいろいろな話で盛り上がったが、私たちの若い頃に流行(はや)った音楽やファッションに詳しく、まるで同世代と話しているような安心感があり、毎日「何かダメ出しはないですか?」と聞いてくる勉強熱心なのも助かった。

 小日向文世さんは稽古場では「本が遅い」と怒り心頭だったが「えりちゃんの本は面白い。やっぱり、やって良かったよ」と何度も言ってくれて、斜線が多く引かれ、付箋をたくさん付けた原作の文庫本を見て「えりちゃん本当にすごいねえ、流石(さすが)作家、たいしたもんだなあ」としょっちゅう褒めてくれるのだった。私はそんな小日向さんに感動して何度も泣きそうになった。

 戯曲を書きあげる大変さ、苦労を知っていて、その中の台詞(せりふ)を嘘(うそ)がないようにしゃべろうとする真摯(しんし)な態度に、いつも感動していた。

 「私も今後見習いたい」と何度も思った。

 人にやさしく、自分に厳しく。私もそう生きていきたい。そういえば、亡くなった中村勘三郎さんも三国連太郎さんもそうだったなあ…。

 自分が見本を見せなくてはならない年なのに、まだまだあがき苦しみ人生の答えを出せずにいる日々である。

 引っ越しから何カ月も経つのに忙しくて整理ができず、いったん前の家に荷物を運びなおすことにした。広いところから狭いところに越したので、荷物がはみ出し、段ボールを開けて整理することが不可能だからである。お金をかけて運んでもらったのに、また戻して整理のしなおしである。寄付するもの、山形に送るもの、捨てるもの。残すもの。コツコツやるほかはない。書類の整理がことの外大変で、劇団の公演の記録や手紙、写真を寄付する前に整理することができるのか? 間に合うのか? 追い立てられる日々の中、友人のコンサートのゲストで歌ったり、「秘密のケンミンSHOW」の収録があったり、劇作家協会の集まりがあったりと仕事も詰まっている。

 大変過ぎて「母ちゃん!」と叫んでしまうが、母ちゃんは介護施設で3歳児のようになってしまった。もう母ちゃんは手伝ってくれない。棚を作ってくれたり、文学的な手紙で励ましてくれたりした父ちゃんも介護施設だ。

 自分のことは自分でやるしかない。片付け整理の道は遠いが、全部自分でやるしかない。自分でやり続けてきたことは自分で片付け整理するしかない。

(女優・劇作家、山形市出身)

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