渡辺えりの ちょっとブレーク

(180)文化芸術、育てて収穫を願う

2020/5/30 15:50

 コロナ禍の中、医療従事者や介護士の方たち、自宅で籠(こ)もることもできずに働いてくださっている方々に頭が下がります。故郷山形が落ち着き、さらに大沼デパートに再オープンの計画があるというニュースに喜んでいます。東京に住む私は帰りたくてもまだ帰れない山形の風景を思い描き、両親や弟、友人たちの顔を浮かべながら過ごす日々です。

 私の仕事はほとんど中止か延期で、生まれてこの方、こんなに自宅にいることは初めてでした。そして、お客さまたちの笑顔を見られないことが、こんなにつらいものだとは思いませんでした。自分が作る作品を、演技を、歌を見て、聴いていただけないことがこんなに空(むな)しいものだとは。自分には生きる価値があるのだろうか?と落ち込むほどでした。

 しかし、私などはまだ良い方で、演劇を作る人たちの中には、今日明日を生きるお金もなくなってしまった方たちもいます。学校公演を続けて収入を得ていた児童劇団の方たち。多くの舞台にフリーランスとして携わり収入を得ていた照明家、音響家、大道具、衣装、小道具、舞台監督たちスタッフの皆さんです。役者ももちろんですが、演劇は一つの作品を作るのに多くの人たちの力が必要です。けれど一本の舞台で支払われるお金は多くはなく、1人が何本もの作品に携わって、生活費を得ることになります。そのすべての作品が中止に追い込まれた現状、多くのスタッフの収入は途絶えました。

 今回、日本劇団協議会、日本演出者協会、日本劇作家協会が中心となって署名を集め、演劇の他の団体400もの賛同者の意見を聞き、その声を文化庁に届けました。普段交流のなかったミニシアター、ライブハウスの方たちも合流したのです。

 思えば私が子供の頃、演劇、シアター、ライブハウスは一つの劇場にあったように思います。生まれて初めて見た芝居も映画も、体験したのは県民会館でした。山形市民会館の小ホールでジャズのコンサートを聴(き)いたこともあります。山形育ちの私にとって、ミニシアターとライブハウスが演劇の団体の仲間に入ることに、全く違和感を感じることはありませんでした。

 小学校の頃はいじめられっ子で、気が弱く、現実社会を生きていくのは難しかった私を救ってくれたのが演劇、映画、音楽でした。死んでいたかもしれない私を生かしてくれたのが、文化芸術だったのです。それが消えてしまうかもしれないような危機を何とかしなければ、と生まれて初めて省庁要請に、議員会館に行きました。

 前日は緊張のあまり眠れませんでしたが、深夜の2時ごろ、テーブルの上にあった、山形西高の同級生でサクランボ農家の保科さんからの手紙が目に入りました。サクランボの注文のための返信でした。私はいつも、演劇は農業に似ていると感じていました。土壌を作り、耕し、肥料を考え、天候に留意し、コツコツと手間暇かけて作物を育てる。私が子供の頃のサクランボは酸っぱくて実も小さく、そんなに美味(おい)しい果物ではありませんでした。それが数十年もかけて創意工夫を重ね、こんなに甘く美味しい味の果実が実ったのです。演劇を含む文化も、気の遠くなるような時間をかけてコツコツとみんなで育ててきた果実です。今その根が腐ってしまうような危機であると伝えたかった。

 要望書を手渡すときにサクランボの話をしたのは、それが私の実感だったからです。

 今年も故郷の美味しいサクランボを、コロナのために憂鬱(ゆううつ)に暮らさざるを得ない東京の友人たちに贈り、元気になってほしいと願っています。

 6月、山形に帰れることを夢見ています。鶴岡まちなかキネマの閉館は残念でなりませんが、きっと文化を愛する観客が中心となり、みんなの力で再開されるに違いありません。

 文化芸術をサクランボに例えますと、みんなで木を育て、みんなで収穫したサクランボを、早くみんなで食べたいと願っています。

(女優・劇作家、山形市出身)

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