(184)帰りたいときに帰りたい故郷~渡辺えりの ちょっとブレーク|山形新聞

渡辺えりの ちょっとブレーク

(184)帰りたいときに帰りたい故郷

2020/9/30 15:24

 コロナ禍に4本続いた舞台の東京公演が終了した。オフィス3○○(さんじゅうまる)で演じる予定だった「鯨よ!私の手に乗れ」は30人の老女役が出演する芝居のため、稽古場が密になることを想定し延期にせざるを得なかった。今人気の劇団KAKUTAの桑原裕子さんも3○○のその舞台に立つ予定で、私もKAKUTAの8月公演「ひとよ」に出演し、女流劇作家同士でお互いの劇団に出演し合うという、日本の演劇界でも画期的な出来事になるはずだった。

 全てはコロナが原因だが、3○○の公演をやるはずだった9月にKAKUTAの「ひとよ」を実施。「ひとよ」をやるはずだった8月の座・高円寺で木野花さんと2人芝居をやることになり、新作「さるすべり~コロナノコロ」を書きあげることになった。女性の劇作家が女性を描いた作品をやりたくて、永井愛さんの「片づけたい女たち」を演出し、その後、昔からやりたかった別役実作品「消えなさいローラ」を演出し、尾上松也さんと共演した。

 最後が「ひとよ」の出演である。映画では田中裕子さんが演じた役で、舞台は出だしにおにぎり2個を本当に食べながらしゃべるシーンで幕を開ける。しかも夫をひき殺して30分たった直後という設定。ドメスティックバイオレンス(DV)が酷(ひど)く、子供たち3人を酔っぱらっては殴り続けた夫だが、殺してしまったその夜のシーンから始まるのだ。そして、ラストは咆哮(ほうこう)するシーンで終わる。

 コロナ禍の3カ月、自分でもよくやったなあ、としみじみ思う。演劇を絶やしてなるものか。意地でやり遂げた感がある。

 お客さまの評判は良かったが、友人たちは「全部面白く、やって良かったと思うけど、死んでしまうのではないかと、とても心配した。こういう無茶(むちゃ)は二度としないでほしい」というのだった。朝の9時から夜の11時半まで、毎日3本の稽古を続けた。別役さんの台詞(せりふ)は長台詞が多く、倒置法の特徴があり覚えにくいため、友達の俳優深沢敦さんに頼んで読み合わせをしてもらった。彼は昔柔道部で、スパルタ式の厳しい台詞合わせで覚えることができた。前回も書いたが、本当に友達のおかげでやり終えることができたのだった。

 新作「さるすべり」は私が生まれた山形市村木沢の山王の家の庭にあった「さるすべり」をイメージして書いた。弟とよくのぼって遊んだが、今も満開の赤い花を咲かせている。家はなくなり更地になってしまったが、「さるすべり」は大きくなり、昔より赤くたくさんの花を付けている。両親に会いたくて山形に帰ってきたが、コロナのために駐車場に面した窓から10分間だけしか会えない。車椅子の母親が私を見て、泣くような顔をした。むくんだ足は治り、父も顔色が良い。介護の方たちのおかげである。

 高校演劇クラブの仲間と七日町の喫茶店で会って久しぶりに大笑いしたが、帰りに店のドアに「関東から来た方はお店に入らないでください」という張り紙がしてあった。それに気付かずに待ち合わせしてしまったのだった。弟と入ろうとした焼き鳥屋さんも東京の方はお断りとのこと。苦労した舞台が終わり、山形の両親に会いたくて、知らずに来てしまった。村木沢の幼馴染(なじ)みに会ったので、接触を避け、おみやげのお菓子を土手から放り投げて受け取ってもらった。こんなことがいつまで続くのだろうか?

 そして、前に舞台で夫婦役をやった藤木孝さんが亡くなり、親切にしてもらった斎藤洋介さんも亡くなってしまった。

 山形の金色に輝く美しい稲穂を前に複雑な気持ちだ。コスモスとケイトウとヒマワリが同時に咲いている不思議な花園のような、大好きな生まれ故郷。近隣の方たちが芋煮や漬物を持ってきてくださる優しい故郷。帰りたいときに帰りたい。と、願うばかりだ。

 「ひとよ」は10月3日と4日、愛知県の穂の国とよはし芸術劇場で公演する。これがコロナ禍、ラストステージだ。

(女優・劇作家、山形市出身)

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