渡辺えりの ちょっとブレーク

(186)母との思い出、朗読で涙

2020/11/30 12:48

 山形の介護施設にいる両親に月一度会いたいと思い、東京から通っていた。12月は長く滞在して毎日行こうと思っていた。しかし、東京での新型コロナウイルス感染拡大のため、山形に14日間滞在した人でないと面会できないという規則ができてしまった。

 会いたくても会えないのだ。年末年始も山形で過ごし、新年のお祝いをしたいと願っていたが、叶(かな)わなくなった。94歳と90歳。母は元日生まれで91歳になる。コロナ禍で両親にもしものことがあったらどうしよう。ワクチンが来年の秋ごろに普及すると聞くが、それまでに無事でいてくれることを願う。

 先日、同じ山形市出身の橋本マナミちゃんに誘われ、山辺町出身の銀杏BOYZの峯田和伸さんと3人でフジテレビ「ボクらの時代」に出演した。放映は30分弱だったが、2時間半も喋(しゃべ)った。大笑いしながら山形ならではの話に花が咲いた。3人の共通点は、子供の頃普通は見えないものが見えてしまう質だったこと、そしてなるほどと受け入れて驚かないタイプ。自然の中で生まれ育ち、損得などを考えず純朴に生きてきた謙虚な3人である。

 収録後、テツandトモの石沢智幸君、ロケット団の三浦昌朗さん、アナウンサーの武田祐子さんも誘って盛り上がった。山形出身者は人の悪口も一切言わず、お互いに褒めることしかしないし、自然体で話せるので本当に楽しい。山形の思い出話をするだけで大受けである。日本テレビ「秘密のケンミンSHOW」でマナミちゃんが知ったという山形田というお店で、密に気を付けながら郷土料理を食べたのだった。

 兵庫県豊岡市に来春、芸術文化観光専門職大が開校する予定だ。大学の隣には寮がある。つまり全国から演劇を学びたい学生が集うことになる。役者やスタッフの勉強を、座学と実技を通して学ぶことができる日本初の大学である。昨年、私の生原稿やプランした舞台美術、制作資料、台本、ビデオ、そして戯曲を書くために読んだ資料など段ボール100箱分を寄付した。学長就任予定の平田オリザさんが、大学に渡辺えりコーナーを置く計画を立ててくださったのだ。学生にとって貴重な参考資料になると、平田さんが勧めてくださった。

 300箱のうちの100箱である。父が山形大出身で、私自身も山形で生まれ育ったので山形大か東北芸術工科大に寄付したかったが、断られてしまった。演劇に詳しい人がいないというのが理由であった。兵庫県に行かないと見られなくなるのは寂しいが、演劇好きな人たちの役に立つのは嬉(うれ)しい。そして、大学のある街の名前が山王町。私が生まれた山形市村木沢の山王と同じ名前という偶然もあった。

 しかし、故郷を愛し、故郷のことを数々作品にしてきた私である。演劇の生の資料を兵庫県にばかり送るのやはり寂しい気がして、山形県知事に相談させていただいた。父がスクラップしてくれていた私の記事や山形公演の記録など唯一無二の舞台の資料やドラマの台本などを整理して将来、山形県立図書館に寄付させていただくことになった。最初に相談すれば良かったが、父が苦学して村で初めて入学した山大にこだわってしまっていた。あと10年ぐらいはかかるかもしれないが、故郷に演劇の資料を一部でも残せることにほっとした。残り200箱の整理は気が遠くなる。

 豊岡市で先日行った文化講演会は大盛況で、コロナ禍に満員のお客さまだった。地元の方たちがとても熱心に聴(き)いてくださった。寄付した生原稿をデータ化するためにいったん7箱分を東京に戻し、また送り返すことにしたが、改めて自分の生原稿の多さに驚いた。パソコンのない時代に原稿用紙に書いた戯曲とエッセーの数々。その中から20年前に書いた「涙の跡」というエッセーを朗読した。山形から演劇をやりに東京に出た時の様子を書いたものだ。下宿の準備で一緒に上京した母が私を一人残し、上野駅から山形に戻るシーンで、朗読しながら泣いてしまった。「何の罰が当たって可愛(かわい)い娘を東京にやらなくてはならないのか?」。母は列車の中でずっと泣き続けたというのだ。

 そんな母が認知症で介護施設にいて、コロナ禍のために会えないのだ。兵庫の方たちがみんなもらい泣きしてくださった。その原稿は来年から豊岡市の大学に展示されることになる。

(女優・劇作家、山形市出身)

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