明日につなぐ地域医療

第4部・連携の課題と新たな可能性(7) 病院から診療所へ

2022/4/26 09:29

 自治体が倒産する―。信じられない事態が2006年に起きた。北海道夕張市は全国で初めて財政再建団体に指定された。公共事業は次々と見直され、医療も対象となった。当時、市内唯一の病院(20床以上)だった市立総合病院は、事前準備もなく19床以下の診療所に規模縮小となり、医師や看護師ら病院職員66人は解雇された。こうした危機は、夕張だけに起こることではない。

 同市は明治時代から炭鉱のまちとして栄え、市立総合病院は炭鉱労働者の病院が前身だった。昭和30年代の最盛期は人口11万人超だったが、炭鉱は閉山、1990年代以降は映画の舞台を売りにした観光以外に新たな産業はなくなった。炭鉱依存体質のままだった市の財政は悪化し、06年に破綻。人口は約1万3千人まで減っていた。当時の赤字は353億円に上る。

 財政破綻直後、市立総合病院は公設民営の市立診療所「夕張医療センター」となった。市民の頼りの存在がなくなることは避けられたが、171床あった病床は19床に削減。解雇された職員のうち約半数を医療法人が再雇用し、医療供給態勢を維持した。

 現在は札幌市に拠点を置く「夕張豊生会」が指定管理者として診療所を運営する。内科や整形外科などを置き、救急にも対応。19の病床は常時15程度が埋まっており、同会が運営する介護老人保健施設からの患者も受け入れる。現在人口7千人を切った同市の高齢化率は50%以上で、訪問診療・看護に重点を置き、専門的かつ高度な治療や手術は近隣の大規模病院と連携している。「財政破綻で強制的に変わらざるを得なかったが、結果的に身の丈に合った態勢になった」と同会事業部の山本達洋副部長は話した。

診療所を支える土井和博医師(奥)と夷藤明日香医師=酒田市・日本海八幡クリニック

 酒田市の日本海総合病院を中核とし、入院機能や高度で専門的な治療を同病院に集中させた地域医療連携推進法人・日本海ヘルスケアネットでは、北海道夕張市のような事態が起こる前に病院再編が進められた。2018年、同市八幡地域(旧八幡町)にあった市立八幡病院は、46あった病床を廃止し、同ネット誕生とともに無床の日本海八幡クリニックとして再スタートを切った。

 病院が診療所になった点は夕張と同じだが、移行の様相は大きく異なる。診療所長を務める土井和博医師(65)も「当初は住民らから不安の声もあったが、今はメリットの方が大きい」と語る。

 「日本海総合病院の看護部長経験者など、頼もしい人材ばかりだよ」。土井医師は診察室を後にする看護師に会釈をしながらつぶやいた。日本海八幡クリニックの始まりは1954(昭和29)年に開設した旧八幡町立病院。その後、町と市が合併し、市立病院となった。土井医師は同町出身で町立病院時代の86年から患者を診続けてきた。最大146床を抱え「最適な医療の提供と患者の回復を第一にしていたが、いかにベッドを埋めるか、経営を安定させるかが頭にあった」と町立・市立病院時代を振り返る。

 病床利用率も8割台にまで下がり、市立病院になっても一般会計から毎年2億~3億円を繰り出し、運営されていた。18年、八幡病院は日本海総合病院の運営組織に統合される形で、同ネットの一角を担う診療所として生まれ変わった。同ネット発足前から入念な協議が重ねられていた。病床は廃止したが、新たに整形外科を診療科目に加え、内科、外科、リハビリテーション科との四つを備える。

 「お年寄りは腰や膝が痛い、血圧が高い、糖尿病も抱えているといった(複合的な症状のある)ケースが多い。そういう患者をワンストップで診ることができる」。健康寿命の延伸につながる整形外科を加えたことで、存在意義は以前よりも大きくなったという。

 「当初は近くの介護施設から懸念を示されたが、今はこの態勢がうまく機能している」と土井医師は胸を張る。在宅への対応も強化。日本海総合病院のカルテのデータを見ることができ、治療経緯を把握し、最適な医療を提供し続けられている。経営も安定した。「あの時、変わっていなければ、ここはもう無くなっていたかもしれない」。かみしめるように語った。

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