談話室

▼▽終戦を機に中国大陸から一家で酒田市飛島に引き揚げた。父の古里だったが、舞い戻ってもなかなか受け入れてもらえない。そんな時、沖に停泊する船の拡声器から聞こえてくる歌に救われた。美空ひばりの声だった。

▼▽齋藤愼爾さんの少年期である。独特の感性も育まれた。暗い海に向かい、視線を左から右へ半回転させる。すると島を支点に「日本の総体」を把握できた気になった。高校1年で俳句を始め「孤島の寺山修司」と称された。「焚火(たきび)囲む子等を囲みて島の闇」はその頃の句だ。

▼▽本紙読者には、昨年まで20年間務めた「やましん俳壇紙上句会」の選者の顔がなじみ深いだろう。ただし、俳人として高く評価されただけではない。文学に音楽、演劇、漫画とジャンルを横断する該博な知識を武器に、数々の書籍を世に出した名編集者、評論家でもあった。

▼▽かつて自らも俳句をたしなんだ東京大名誉教授の上野千鶴子さんは書いている。齋藤さんは、日本海の孤島から列島を一望の下に視界に収めるような「外部の視点」を意識して保ち続けた、と。83歳で旅立った稀有(けう)な文人の魂は今頃、郷里の島の上に回帰しているだろうか。

(2023/04/01付)
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  • 4月1日
  • ▼▽終戦を機に中国大陸から一家で酒田市飛島に引き揚げた。父の古里だったが、舞い戻ってもなかなか受け入れてもらえない。そんな時、沖に停泊する船の拡声器から聞こえてくる歌に救われた。美空ひばりの声だった。 [全文を読む]

  • 3月31日
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  • 3月30日
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  • 3月29日
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  • 3月27日
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  • 3月26日
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