談話室

▼▽「もし天の咎(とが)が自分一人に向かうならば、人々は不慮の死を遂げずに済む。天がもたらす災いをこの一身に引き受けたい。私はそれを強く望む」。天然痘の流行に民が苦しんでいた時、こう覚悟を語った為政者がいた。

▼▽1200年前、平安時代初めの嵯峨天皇である。背景には「天人相関」の考えがあった。疫病や天災は徳のない悪政を天が譴責(けんせき)するサインだというのである(虎尾達哉著「藤原(ふじわらの)冬嗣(ふゆつぐ)」)。その後凶作に襲われた際には、自分と皇后の御膳の量を4分の3に減らすよう命じた。

▼▽天皇陛下は、61歳の誕生日に先立つ会見で嵯峨天皇に言及された。困難に直面した歴代天皇の事跡をたどる中「疫病の収束を願って般若心経を書写された」と語ったのだ。会見は書写に触れるにとどめたが、天の咎を背負おうとした遠祖の言葉も念頭にあったかもしれない。

▼▽会見での陛下の発言はこう続く。嵯峨天皇に限らず歴代天皇は「国民に寄り添うべく、自らができることを成すよう努めてこられた」。その精神は新型コロナに翻弄(ほんろう)される現代にも通じるものがある、と。永田町や霞が関の住人が今、最も見習わなければならぬ精神だろう。

(2021/02/25付)
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  • 2月25日
  • ▼▽「もし天の咎(とが)が自分一人に向かうならば、人々は不慮の死を遂げずに済む。天がもたらす災いをこの一身に引き受けたい。私はそれを強く望む」。天然痘の流行に民が苦しんでいた時、こう覚悟を語った為政者がいた。 [全文を読む]

  • 2月24日
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  • 2月23日
  • ▼▽明治初期の庄内で起きた農民蜂起運動「ワッパ騒動」の指導者森藤右衛門は、酒田地域に自由民権思想を根付かせた。象徴的な出来事の一つとして、県令三島通庸が初代飽海郡長に任命した貴島宰輔の排斥運動がある。 [全文を読む]

  • 2月22日
  • ▼▽火星の夕焼けは青い。白鷹町出身の宇宙物理学者佐藤文隆さんは、かつてこう推論した。理由を説明するためにまずは身近な現象を引き合いに出す。地球の空は青い。晴れた空には光の青い成分が散乱しているからだ。 [全文を読む]

  • 2月21日
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  • 2月19日
  • ▼▽酒田を起点とする西回り航路を開拓し、最上川舟運を飛躍的に発展させた功労者といえば、伊勢国(いせのくに)生まれの豪商河村瑞賢である。江戸に出て荷車引きから身を起こし、旺盛な野心と才覚を発揮して一代で成り上がった。 [全文を読む]

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