山形大学医学部の「東日本重粒子センター」の建設が山形市内で進み、重粒子線によるがん治療が、約1年後、東北でスタートする。今や日本人の2人に1人ががんにかかり、それをどうやって治すのか、患者一人一人に最適な治療法が検討される時代。センターの誕生により、東北の患者たちはがんに立ち向かう強力な“武器”を一つ、手に入れることになる。日本が世界をリードする最先端の治療法について、歴史や意義、将来展望や期待を、日本のがん治療や医学のトップランナーたちが語り合った。(2020.2.29 山形新聞掲載)
嘉山 まずは、重粒子線がん治療の歴史について、どのように開拓され発展してきたのか、ご教示いただきたい。
辻井 重粒子のルーツは、1940年代にアメリカの物理学者が提唱したイオン線による放射線治療だ。「狙った所のがんだけをやっつける」をコンセプトに、陽子線や中性子線などさまざまな粒子線の研究がアメリカで始められた。それが一気に注目を集めたのは、72年のCTの発明による。
嘉山 局所診断がきちんとできるようになったことで、強力なエネルギーを体内に正確に照射できるようになった。
辻井 はい。アメリカの研究所で重粒子線の臨床応用が始まったのが70年代。しかし、資金難などで90年代初めに治療から撤退した。一方、日本では84年、世界初の医療専用装置「HIMAC」の建設が放射線医学総合研究所(=放医研、千葉県)で進められ、94年から治療が始まった。今や世界で最も豊富な治療実績を誇る。
嘉山 かつてさまざまな粒子線の研究が行われたという。その中で重粒子(=炭素粒子)が選ばれたのは、なぜだろう?
辻井 炭素線の魅力の一つはブラッグピーク。体の表面近くで放射線が弱く、体の深いところでピークになる。このため従来のエックス線よりがん病巣を狙い撃ちすることが可能になり、周囲の正常組織への影響も少なくなる。また、ピーク部分の生物効果(細胞致死作用)が、エックス線や陽子線より大きいという性質があり、これが最大の魅力。線量分布と生物効果、このバランスの良さから炭素が選ばれた。
伊丹 加えて、向こう側に突き抜けないという性質も良いと思う。エックス線はがん病巣の向こうに突き抜けるので、体全体の被ばく量が上がってしまう。
嘉山 なるほど。これほど優れた治療法なのに、かつてアメリカが撤退したとは。科学技術の分野で判断を見誤るとは珍しい。今、アメリカで重粒子線治療は全く行われていない?
辻井 近年になって、メイヨークリニックが導入を決めた。粒子線治療にはいろいろな種類があるが、全てアメリカで研究が始まっており、自分たちが本家との意識はあるのだろう。しかし今では、日本やヨーロッパでの成果が注目されている。
嘉山 日本は技術が追い抜かれないよう、医療界、装置のメーカー共にさらに研さんを重ねたい。ところでその重粒子線がん治療が山形でも始まろうとしている。
山下 「がんを中心に」研究・臨床・教育に取り組むと、嘉山先生が山形大学医学部の方針を示したのが、学部長時代の17年前。東北・北海道で初となる重粒子線がん治療施設がなぜ山形にできたのか、端緒はそこにさかのぼる。嘉山先生は事業化、そして資金集めに奔走され、血を吐くほどの努力をされた。
嘉山氏
寄せられた
多額の寄付
地元からの
理解の表れ
嘉山 私ばかりではなく、大学が一丸となり取り組んでいただいた。東北の方々から広くご理解と賛同を頂き、東北一円の病院でネットワークを構築することができた。また行政や経済界からの支援も大きい。
個人の方々から約8億円に上る寄付を頂いた。本当にありがたい。群馬の場合は約1億円ほどだったと聞いている。人口は山形の方が少ないのに、これだけの額が寄せられたことに、県民の理解の高さと、期待を感じる。身が引き締まる思いだ。
辻井 こういった事業に国の予算が付く場合、何をやるかに加えて「誰がやるか」を見られている側面もあると思う。山形には嘉山先生という強力なエンジン役がいたからこそ実現できたのだろう。
嘉山 続いて、重粒子線のがん治療への貢献について伺いたい。がんは外科手術、抗がん剤、放射線が「治療の3本柱」といわれてきた。「手術が一番」と信じている外科医もいるかもしれないが、近年、劇的な効果を示す抗がん剤が登場したり、放射線では重粒子のような大きいエネルギーを扱う装置も開発され、名実共にみんなが協力しさまざまな“武器”を駆使してがんを治療していく時代になった。そうしたことを踏まえ、重粒子線がん治療の意義を語ってほしい。重粒子以外の放射線治療の最前線にいる伊丹先生、いかがだろう。
伊丹 放射線治療の中でも重粒子は「なた」みたいなもの。芝刈りを、なたではやらないが、なただから刈れるものがある。辻井先生が率いて開発された重粒子は、世界に誇る技術。それを引き続き発展させるためには市場を開拓する必要がある。これでしか治らない“敵”がたくさんいることが分かれば、さらに注目度が高まるだろう。従前の方法では成し遂げられない新しい知見をぜひ開拓していただきたい。
嘉山 伊丹先生の国立がん研究センターの、東病院では陽子線治療を実施している。重粒子線と比較すると?
伊丹 双方、がん病巣に照射しても突き抜けないという性質があり、陽子線は主に頭蓋底がんの患者さんに紹介している。頭蓋底でも肉腫だった場合などは重粒子が最適で、その場合は他施設を紹介し、使い分けを行っている。
根本 伊丹先生がおっしゃったように、重粒子は「なた」のような強力な“武器”。重粒子でしか治せない患者さんも一定数おり、治療選択肢が広がるという点で、東日本重粒子センターの稼働は、東日本の人々にとって意義が大きいと思う。陽子線と重粒子線は、一部のがんでは治療成績の差は大きくないように見えるが、重粒子線は治療期間短縮という点でも大きな成果を上げている。
辻井氏
全体の
医療レベル
引き上げる
力がある
辻井 重粒子の意義として、全体の底上げ効果があると思う。以前、勤めていた病院で新しい機器を取り入れた時、「あんな高いもの」と批判もされたが、結果的に患者さんが来て、学生も来て、全体の医療レベルが上がった、ということがあった。同じようなことが、山形大学でも起こり得る。
山形でいよいよ重粒子線治療が始まったら、放射線科以外でもどんどん使ってもらえばよい。そうすれば自分たちのものという意識が多くの医師や研究者、学生に芽生え、新しい研究や知見が生まれてくる。山形大学医学部は既にがんセンターとして機能し、講座を横断しての協力体制ができている。やりやすい環境にあるだろう。そこに期待している。
嘉山 日本で重粒子線治療を開拓してこられた辻井先生の言葉をありがたく受け止めたい。腫瘍内科医の立場から石岡先生のご意見はいかがか。
石岡氏
期待したい
抗がん剤との
併用効果
石岡 腫瘍内科は縦割りのないところからスタートし、臓器を問わずさまざまながんをみている。また時間軸も、初期から患者さんが亡くなるまで関わる。そうした中で、例えば抗がん剤を早期がんに手術に代えてやるのはナンセンスで、一方、外科手術は終末期には役に立てないなど、モダリティー(=治療手段)は治療のステージでどこに有効か、すみ分けが重要だと考えている。新しいモダリティーが出てくると必ず、それまでにあるものと比較されるが、どの治療モダリティーが良いかという単純なことではない。
抗がん剤の世界では、最近、免疫チェックポイント阻害剤という薬が出てきて、その単独の効果もさることながら、従来の抗がん剤との併用療法が高い効果を示すようになってきた。重粒子線治療は、ある所には非常に効果を発揮するので、今後さらに開拓できるポテンシャルも高いと考える。時間軸で、どのステージで使われるのが最適なのか今後検討される必要があるし、また、今ある治療モダリティーとの組み合わせでさらに効果を発揮するのではと期待している。
伊丹 免疫チェックポイント阻害剤など、抗がん剤と放射線とのコンバインドにより新しい次元の治療ができると思う。ぜひ勉強していきたい。
辻井 コンバインドという点で、私たちはがんの放射線治療に特化し、中でも重粒子線による局所療法を追究してきたわけだが、ある時点から延命効果を示さないと意義が受け入れられないようになってきた。そこで、他の専門家と共同研究を行うようになり、膵臓(すいぞう)がんやメラノーマ(悪性黒色腫)、骨軟部腫瘍などで成果を上げている。
嘉山 そういう意味で、放射線医療は総合病院で行われた方がよいと考えている。内科医などとのコミュニケーションが不可欠だからだ。私たち大学やがん研究センターは、辻井先生などが確立された安全な治療を、患者さんの全身の状態に応じて生かしていくのが使命だろう。
嘉山 重粒子線治療の有効性が認知され、国民健康保険の適用範囲が広がってきている。今は対象ではないが、今後、保険適用にふさわしいと思われるがんは?
辻井 疾患別にいうと、骨軟部腫瘍、頭頸部がん、前立腺がんは既に健康保険の適用になっているが、今後、保険収載が期待されているのは、肺がん、肝臓がん、膵臓がん、直腸がんの骨盤内再発、子宮腺がんなど。肺がんは特に高齢や肺機能の低下などで手術が難しいとされる患者さんの選択肢として認めてほしい。
伊丹 肺がんの中で間質性肺炎を併発している場合、重粒子線が劇的な効果を示す例がある。ぜひ保険適用となってほしい。
石岡 がんの悪性度を鑑み、フェーズに合わせた使い方を考えることが重要だ。例えば抗がん剤が1次治療、2次治療で有効だった場合、先にそちらを行い、3次以降に重粒子線治療を行うことがあり、それは選択肢の一つだと思う。また今後、超高齢化社会を迎え、手術と抗がん剤のどちらも適応とならない患者さんの場合、重粒子の方が安全という場面も増えていくだろう。どういうフェーズで使うかの問題だ。
また転移性のがんで、従来では治療法がないとされるケースで、重粒子線治療という選択も今後新たに展開されていくのではないか。
根本氏
活用できる
シーンが
広がっている
根本 いろいろながんで、エックス線の副作用が増え過ぎて根治的治療ができないケースがある。それらは多くの場合、化学療法に移行してしまうのだが、重粒子線を使えば、そのような患者さんが根治を目指せる線量を安全に得られる。今後、良い適応になっていくのではないだろうか。
もう一つ、「オリゴ転移」という概念が普及している。以前は転移が1、2個あったら長期生存は望めないという考えが主流だったが、今は、がんが全身に転移する前に少数個の転移のみが存在する状態であれば、積極的に治療することで治癒が可能な場合もあることが分かってきた。重粒子はそうした場面でも有用で、活用するシーンは多様化している。もっと普及してほしい治療法だ。
嘉山 重粒子といえば前立腺がん、といったよく知られた例以外にも、まだまだ使い道はあるだろう。どうすればこの治療法はより普及していくのだろう。
石岡 一つは臨床試験を組むこと。例えば重粒子線と免疫チェックポイント阻害剤との併用などについて新たな臨床試験、もしくは医師主導治験がデザインしてあれば、他の医療機関も患者さんをお願いしやすくなる。その成績が良好なら適応拡大にもつながる。臨床試験にするというのは一つのポイントだ。
嘉山 重粒子線治療を患者さんに届けるためには、患者さんへの宣伝より、主治医が鍵だ。医療界にエビデンスを示し、主治医に理解されないと生きた形での使い方がなされない。
辻井 その通りだと思う。放医研では10年以上前から、どうやって重粒子線治療を知ったのか、患者さんにアンケートを行っている。前立腺がんなどの患者さんは自力で知る場合が多く、頭頸部、骨軟部など希少がんの患者さんは主治医からの紹介が多かった。そうした専門家が集まる場で積極的に成果を発表すれば、理解が広がると思う。
伊丹 私たちがんセンターも、骨軟部などのレアながんの場合、重粒子線治療を紹介することが多い。専門家が重粒子線について正しい知識を持つことが、必要とする患者さんに重粒子治療を届ける第一歩ではないだろうか。
嘉山 重粒子線治療の未来について、展望を語ってほしい。
辻井 長く重粒子線治療の開発に携わり、まず局所コントロールの改善、副作用の低減について苦労して解決し、次は延命効果、他の治療法との併用などをテーマとして取り組んできた。主にターゲットとしてきた頭頸部、骨軟部腫瘍についてはある程度めどが立ったと思っている。ただ、唯一うまくいかなかったのがグリオーマ(脳腫瘍の一種)。膵臓がんに続く“最後の聖域”だ。
伊丹氏
さらなる
効果の立証と
機器の
小型化に期待
伊丹 重粒子に対しては、臨床試験を通じて効果が立証されるのと同時に、機器の開発も進めばと思う。都市部で敷地のない病院に、現状のような重粒子線施設を造るのは難しい。装置のさらなる小型化、省電力化にぜひ日本の企業が取り組んでほしい。
根本 少ない照射回数で治るという点でも重粒子線は優位性を誇るが、そこをさらに突き詰めていければもっと素晴らしい治療になる。最近、フラッシュという治療法が注目されている。秒速でがん細胞を死滅させ周辺組織への影響を最小限にする。重粒子は将来的にこういった方向を目指すべきだろう。今後、いろいろな技術開発が必要だが、息を吸って吐く間の数秒間で照射が終わり、それでがんが治るのなら、まさに未来の治療だ。
石岡 重粒子線は全身にほとんど影響なく、腫瘍を一気に破壊できる。今までの放射線治療、化学治療とはだいぶ違うものだ。私はやはり、併用療法に期待したい。特に免疫チェックポイント阻害剤、そして血管新生阻害薬との併用による相乗効果に期待している。
現在、重粒子は、主に大きい状態のがんが治療対象となっている。治療の時点で既に全身にがんが広がっている可能性があり、それが重粒子線治療の全生存期間を出す上でのデメリットになっている。抗がん剤との併用で延命効果を示す実例を一つ生み出せれば、未来の適用は全然違う形になってくるだろう。
山下氏
〝最先端〟の
存在は
学生を
引きつける
山下 辻井先生が「全体の底上げ効果」を指摘されていたが、嘉山先生が重粒子線を山形に誘致するとき何を目指したかというと、学生や職員に誇りを持たせることだった。その効果を今ひしひしと感じている。重粒子線装置の建設現場を学生に見せると「すごい」と目を輝かせる。最先端のインフラは、山形に残りたいと思える引力になる。そうした底上げ効果までを見据えた嘉山先生のアイデア、リーダーシップに感服する。
嘉山 先生方のお話から、重粒子の活用についてはまだまだ開拓の余地があり、発展性のある治療だと分かった。教育、研究、臨床の機能を備えた医学部に重粒子が加わることで、さまざまな診療科がいろんなアプローチで研究に取り組み、新しい知見が生まれることだろう。東日本重粒子センターが東北一円の方々にとって身近な存在となるように努め、地域医療の発展に貢献したいと考えている。山形の医学生はぜひ若い感性でこの最先端のシステムに触れ、使いこなしてほしい。日本の医学を世界にアピールできる人材がこの山形から育つことに期待している。