すっぽり濃い霧に包まれた吉野川の早朝。職場へ向かうのか、車や自転車の市民が吉野橋の上を次々と通り過ぎていく。長さ34.2メートル、幅5.7メートル。1937(昭和12)年に完成した。県道赤湯宮内線上の橋だが、赤湯町全図(57年測量)には「二級国道新潟山形線」の表記があり、重要路線の役割を果たしてきたことをうかがわせる。
蝦夷(えぞ)神社の北側を通る川沿いがもともとの道で、車両にとってきついクランク状だった。94年に約100メートルの取り付け道路が完成、東側のコーナーを広げるなどの手が加えられたが、速度を抑えた安全走行が求められることに変わりはない。
両岸に立つ親柱の形が実は異なる。東側が直方体でやや古く、西側は丸みのある板状で「昭和33年10月竣功(しゅんこう)」のプレートがある。理由は県置賜総合支庁道路計画課でも分からなかった。
この上流にあるのが桑旗橋(かばたばし、長さ54メートル、幅4メートル、72年完成)。地名にもなっている桑旗について、南陽の歴史を語る会の須崎寛二さん(79)=三間通=は「養蚕が盛んだった土地柄。桑畑が多く、風で旗がなびいているように見えるから、とお年寄りに聞いた。『川端(かわばた)』が変化した能性もある」と説明してくれた。
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