吉野地区(小滝、荻、下荻、太郎)には古来、数多くの鉱山が盛衰を繰り返した。南陽市史によると荻の金松平は坑内員であふれ「谷地小屋千軒」と呼ばれる長屋が立ち並んだ。酒屋や飲食店でにぎわったことから酒町の名が付いたという。
この地は山形へ通じる小滝街道の要衝にあった。1660年頃、米沢藩は若井、塩田ら足軽士族を配して目を光らせたという。「酒町七人の侍」と呼ばれ、現在もその子孫が暮らしている。
酒町橋は県道山形南陽線のバイパス化で新たに建設されたもので、長さ17メートル、幅8.5メートル。1976(昭和51)年に完成した。すぐ近くに山形南陽線から東の山中へ向かう市道黒森山線の橋で吉野川を大きくまたぐ神明橋(82年完成、長さ51.9メートル、幅5メートル)が、集落内には下酒町橋(完成年不明)がある。
神明橋近くに鎮座する酒町神明神社の例祭が11日に行われた。地元住民が健康を祈願。持ち寄った料理を囲んでの芋煮会は笑顔であふれた。若井不二男さん(76)は「ここは昔から信仰の厚い土地柄なんです」。吉野地域振興会が設置した神社の説明板には「金山の安全を守っていただこうと金山六右衛門が建てたという」とあった。
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