やまがた橋物語

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吉野川前編[8]

◆居残沢橋(南陽)

居残沢橋(南陽)の写真 かつて栄えた鉱山の歴史に由来するともされる「居残沢」の名を持つ橋。右の欄干柱に「昭和五年竣功」のプレートがある=南陽市荻

 南陽市の吉野川上流域にある小滝、荻、下荻、太郎の各地区を合わせた吉野地区は、古くは金などを産出する土地だった。「居残沢」の地名は、鉱山の働き手として各地から集まってきた人々がこの地に定住したためだとも、裏山の猪子(いのこ)沢の名前が転じたものともいわれている。

 荻地区酒町に残る「居残沢開祖の碑」に、「越前国丹生郡之住 寛永十四年 藤原朝臣 松村六右衛門家久」などの記述があり、約370年前の1637(寛永14)年、福井県(越前国)など遠国から人が訪れていたことを物語る。

 居残沢橋は長さ12メートル、幅7メートル。「昭和五年竣功」のプレートがあるが、これには県置賜総合支庁道路計画課職員が首をかしげた。「県道山形南陽線改良工事の道路拡幅で架け替えられているはず」。記録には1972(昭和47)年完成とあった。地域民の強い思いで、古いプレートが残されたのだろうか。

 近くに住む酪農家の矢沢啓一さん(61)は「子どもの頃、よく吉野川に入って遊んだ。コンクリート橋にはなっていたが、かつての県道は幅が狭く、車1台通るのがやっとだった」と語ったが、プレートについては分からないという。

2011/09/14掲載
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