太郎集落から東へ抜ける市道上のコンクリート橋が天王橋。橋から下をのぞき込むと、十数メートル下に吉野川が細く光って見えた。
「大正時代までの橋は川の流れの高さにあり、向こう側に渡るため10メートルは上り下りしなければならなかった」と吉野文化史研究会元会長の川合芳吉さん(88)=太郎。盛り土、石積みで集落と同じ高さに架けられたのが1927(昭和2)年。62年、現在の橋に架け替えられた。長さ11.5メートル、幅3.6メートル。
橋の東側の高台に鎮座する牛頭(ごず)天王が名前の由来。古文書に「元禄九(1696)年村方建立」とあり、疫病除けや作物豊安を祈り村境に建てたものらしい。鳥居脇には先代の天王橋完成の碑が移され、残っている。
「丸太の橋さえも架けることができず、あらゆる荷物を背負って渡ったために『おぶがさわ』とも呼ばれるようになった」-。近くの支流・負ケ沢にはこんな話が残る。今では車でスムーズに通り抜ける太郎周辺が、小滝街道(後に県道山形南陽線)最大の難所だったことを物語る。天王橋の上流にある酒町太郎橋(1969年完成)は、鉱山のあった筋(すじ)集落への道筋の橋だ。
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