やまがた橋物語

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内川・新内川編[8]

◆三雪橋(鶴岡)

三雪橋(鶴岡)の写真 赤い欄干が印象的な三雪橋。荘内神社の参道へと続く=鶴岡市

 朱塗りの欄干と擬宝珠(ぎぼし)が、ひときわ目を引く三雪橋。鶴ケ岡城の外堀としての役割も担った内川には現在、いくつもの橋があるが、その中で最初に架けられたされるのが三雪橋の前身にあたる三日町橋だ。内川の流れを最も長く見守ってきた橋と言っても過言ではない。

 鶴岡市史などによると、山形城主だった最上義光が1608(慶長13)年、鶴ケ岡城の大手門にまっすぐ通じる橋として内川に初めて架けた。1618(元和4)年には、中国・宋の橋を模して擬宝珠が付けられた。その擬宝珠は現在、市郷土資料館に展示されている。

 現在の橋は市道荘内神社前大東町線にまたがる長さ約31メートル、幅約9メートルのコンクリート橋。同資料館に名の由来を尋ねたところ、「橋の改良工事に伴い、初代山形県令の三島通庸が明治初期に名付けたと伝えられるが、橋の付近から鳥海山、月山、金峰山の三つの雪山を望んだことから三雪橋となった」という。

 荘内神社の石原純一宮司は「三雪橋は、かつて庄内藩主が参勤交代で渡ったと伝えられている重要な橋。現在は、荘内大祭の大名行列でも通っている。通行の要所であり、『御幸橋』と呼ばれていたこともあるようだ」と感慨深げな様子だ。

 橋の付近にある飲食店などでつくる「みゆき通り商店街」で、理事を務める御代田利克さん(55)=同市本町1丁目=は「幼稚園児だったころは古い木橋で、欄干に触れながら歩くと、ささくれが手に刺さった記憶がある」と指先を見ながら懐かしむ。

 1963(昭和38)年には、通行の安全を確保するため、現在の朱塗りの欄干が印象的な永久橋に生まれ変わった。「遠方から来る人には赤い橋を目指して来てと言うんだよ。商店街のシンボルだから」と御代田さん。荘内神社の参道へと続く橋は、時代が流れてもなお、市民の生活に溶け込んでいる。

2010/05/18掲載
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