鶴岡市本町2丁目と本町3丁目をつなぐ神楽橋。長さ27.5メートル、幅8メートルで、1955(昭和30)年に架橋されたコンクリート橋だ。すでに江戸期には「七日町橋」の名で架けられており、長い歴史が息づく。
橋東側の旧町名は、以前の橋名と同じ「七日町」。旅籠(はたご)が立ち並び、芸妓(げいこ)が行き交う繁華街として栄えた。西側は「上肴(かみさかな)町」と呼ばれ、魚屋や料亭などが並んだ。
1876(明治9)年に鶴ケ岡城の廃材を使って橋を架け替え、現在の名称に変更したと伝わる。名前の由来は定かではないが、橋の近くにあった旅館が神社に神楽を奉納していたことから付いたとの説も。昭和初期まで橋のたもとにあった舟着き場で舟を降り、繁華街で遊ぶ市民の姿が多かったという。
橋のすぐそばで1913(大正2)年に創業した飲食店「東京庵」の3代目店主・木村聰さん(73)にとって、橋周辺は格好の遊び場だった。「子どものころは冬になると、舟着き場に続く坂道で友だちと一緒にゴザをそり代わりにして遊んだ」。さらに「欄干の上で陣取りゲームをしたのもいい思い出だ」と語る。
木村さんは先代の橋を「車1台が通れる程度の幅しかなく、所々穴も空いていて危険だった」と振り返る。だからこそ、初めて今の橋を見た時は驚いたという。「すごく立派な橋が出来たんだなとびっくりした。幅も広く、安全な橋になったのがうれしかった」
現在、橋では朝晩を問わず多くの車や自転車、歩行者が行き交う。時代が変わっても、この橋の重要性は変わらない。
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