鶴岡市街地をゆっくりとうねりながら流れる内川。美原町と三光町の間に架かる筬橋(おさばし)は、古びた姿だが、散歩や通勤、通学の人や車が行き来する、昔も今も市民生活に欠かせない橋だ。
旧金峯街道の一部として使われてきた橋で、たもとの児童公園には地元の人が守り続けている地蔵堂がある。公園内には、同市出身の作家藤沢周平の小説「蝉(せみ)しぐれ」に登場する五間川を紹介した「ゆかりの地」の看板も。現在の橋は1963(昭和38)年に架けられたコンクリート橋。それ以前は江戸時代から木製の橋が架かっていたという。
地元の南部町内会長を務める山場八十八さん(74)=三光町=は、橋名の由来について「妻の祖父からは、昔の橋は路面部分が何本もの木で組んであり、人が頻繁に往来する姿が、糸を織り込む際の機織り機の筬のように見えたことから名付けられたと聞いた」と教えてくれた。橋の付近で機織りをする家が多くあり、その音が聞こえていたからという説もあるようだ。
以前の筬橋は、市南部郊外の黄金や高坂などから町場に入る南側の玄関口だったが、市中心部まで直結する大通りが出来た後は、人通りは大幅に減った。それでも渋滞する大通りの抜け道として利用する人や車が結構多い。
山場さんの妻で、筬橋近くで180年間、菓子店を営む旧家で生まれ育った淳子さん(72)は「昔、黄金や高坂の人が町に行くときは橋を渡り、うちの店で一服し、帰りも顔を出して帰ってました。橋は、人と人もつないでいたんですね」と懐かしそうに振り返った。
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