鶴岡市昭和町と鳥居町を結ぶ昭和橋。1932(昭和7)年に初代の木橋が初めて架けられ、現在のコンクリート橋は2代目。年号を冠した名の通り、付近の住民にとっては昭和期の思い出がいっぱい詰まっているようだ。
初代の昭和橋が架けられる前、住民は遠回りして大泉橋か禅中橋を渡っていた。橋が架けられ、住民の生活はだいぶ便利になり、往来が増えることによって街並みも変わっていったという。延味啓三さん(74)=無職、同市鳥居町=は「戦後、昭和橋近くの内川沿いにマーケットと呼ばれる商店長屋ができた。野菜や鮮魚、日用品などを扱う店が多く、にぎわった。よく家族で買い物に行った」と語る。
また、近くに住む梅津永介さん(76)=自営業、同=は「子どものころは川潜りのほか、竹製のげたに金具を付けて木橋の上をスケートのように滑って遊んだ」と振り返る。
現在の永久橋は長さ約26メートル、幅約9メートル。63年に完成した。橋の中央部がやや盛り上がり、こう配のある形が特徴。県庄内総合支庁道路計画課は「通行の安全確保を狙い、橋の上に水がたまらないように工夫したのだろう」と説明する。
一方、車の運転席からは前方が少し見えにくい状況もあったとか。梅津さんは「橋を渡りきってすぐの道路脇の家屋にぶつかる車を何度か目撃した」。梅津さんの同級生の加藤久志さん(76)=無職、同=は「コンクリート橋に架け替えられたころは高度経済成長期。車の通行量が急激に増えた」と記憶をたどった。
マーケットは姿を消し、街並みは少しずつ変ぼうしているが、今も夕日が映える内川の水面(みなも)を見ると、3人は幼少期をともにした木橋を思い起こすという。
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